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ISSN O389-0538Vol. 75 December2002 No.12HOGAKU KENKYUJo㎜alofLaw,PoliticsandSociology/1π1616sThe Reform of Tax Avoidance in Germany:A Commentary of§42Basic Tax Law ・KIMURA,Konosuke…(1) P7⑫sso7げ丁醐L舐,The Logic of Functional Govemment・TANAKA,Hiroshi…(180) P7漉SSO〆げEoono襯κSノ〉o!6sEine kleine Studie Uber Savigny:Aus dem Gesichtspunkt der Lehrevon den Leistungsst6rungen・SEONG,Seunghyeon…(47)レ㌃蓉iだ〃g S(】ho如7 (ゾC1θiJ・乙‘π{, 加0ρ0!‘1一昭θng傑1nsだ!Z舵 Uni麗飢sめ‘ゾルfz’nJ6h KITAI,Isao P7碗sso7φα乙1πLαzび∠)06κ規6%おAntwort auf die Anfrage zur WUrdigung des Programms der Ge・ setzesanderung betreffend das System der Zwangsvollstreckung ・SAKAHARA,Masao…(101) P7碗sso7ゲα∂〃P706642‘解L砿,CαS6〈乙0!6S ・(121)R6擁硯Kaiser/Sch6ch κ7加初olog161%g佛4s!名ψ66h!S加⑳oJl詔g.5.AufL,2001Kaiser/Sch6ch S加ψollβ祝g.5.AufL,2002. ・MIYAZAWA,Koichi…(145) P〆σ診sso7E郷召7枷sげC7吻劾αJ Lαz{, Edited by HoGAKu-KENKYu-KAI(The Association for the Study of Law and Politics) Faculty of Law,KElO University Mita,Mmato ku,Tokyo108-8345
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法学研究編集委員会委員長委員同 同 同 同 同 同 同 同 同 同 同法学部教授法学部教授法学部教授法学部教授法学部教授法学部教授法学部教授法学部教授法学部教授法学部教授法学部教授法学部助教授法学部助教授鵜出犬鈴大赤井坂迫宮霞大根崎岡伏木石木田口村島 沢岸明直由恒 完 尚純 信秀彦也子男裕爾良史男司彦介毅平成十四年十二月二十日 印刷 第七十五巻平成十四年十二月二十八日 発行 第十二号 定価一〇五〇円(本体一〇〇〇円) 東京都港区三田二」目一五番四五号 慶慮義塾大学法学研究会繍礁嫌 代表者根岸 毅 電話〇三-三四五三-四五一一 東京都港区高輪一丁目三番一三号印刷者 伊 藤 勝 東京都港匡高輪一JE三番二二号印刷所 図書印刷株式会社本誌の入手・予約購読につきましては左記、慶磨義塾大学出版会までお申込みください。予約購読料(消費税・送料含む) 半ヵ年 五五〇〇円 一力年 一一〇〇〇円〒一〇八-八三四六 東京都港区三田二丁目一九番三〇号 発売所慶磨義塾大学出版会 振替口座 ○〇一九〇ー八一五五四九七 電話〇三-三四五一ー三五八四
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機能的政府の論理
法学研究75巻12号(2002:12)最終講義機能的政府の論理田中宏IIIIIIlVV問題の所在公益とフリー・ライダー強制機能的政府の論理まとめ1 政府の本来の機能は公益の実現に人々が協力するように強制することである。本稿はこの機能の作動様式を理論的に解明することを目的とする。それというのもこれを明らかにすれば,その知見を基準にしてあるがままの政府 り機能の是非を判別できるからである。 さて,公益は大は国家レヴェルの平和と秩序から小は村々の山野河海の利用といったものまで,まことに多種多様である。そしてそれぞれの公益は,その受益者を一致協力へと強制するそれぞれの執行部,いわば「政府」によって実現される。したがって,政府の機能は大は国家から小は山村漁村にいたるまで広汎に見い出される。本稿はこれらに共通の政府機能を分析対象とするものである。 さて,政府の機能が公益の実現に向けて受益者を一致協力へと強制することにあるとしたとき,次のいくつかの疑問が生ずる。 10公益の実現には受益者の一致した協力が必要であるが,そのためにな ぜ強制が不可欠なのか。公益といっても所詮は自分の利益となるのに,(1)180機能的政府の論理 なぜ人々は自主的に公益実現に協力しないのか。20「政府」が人々を強制的に協力させ,公益を実現するメカニズムとは どのようなものか。 30人々にとって強制はコストを伴う。コストを上回わる便益があれば, このメカニズムは実現可能であり,そうでなければ実現不可能である。 前者においては公益は実現し,後者では実現しない。では,このメカ ニズムの実現のための条件はどのようなものか。 10の解答は既に与えられている。「囚人のディレンマ」の議論がそれである。20については先行研究はあるものの,それらは断片的である。30については問題そのものが提起されておらず,正に未開拓の情況である。本稿は,したがって,20と30の解明に力点を置く。ただし,立論の手順から10にも言及する必要がある。第II節で公益を論じ,その実現にあたり人々がフリー・ライダーになることを説明する。第III節では強制力を規定し,次に人々が相互に強制し合うことのメカニズムを説明する。第IV節はこの相互強制によって公益が実現される条件について考察する。第V節は以上のまとめである。1)政治は公益を共同意思として確認するプロセス(いわば「立法」)とその共同意思を執行するプロセス(いわば「行政」)に分たれる。本稿が取り上げるのは後者のプロセスであるが,前者は分析の将外にある。いわゆる政治形態に関わる問題には言及しない。II 公益とは何かを明らかにするのが本節の目的である。まず公益の事例を挙げてみると,国防,国内の治安,あるいは道路,港湾,燈台といったもののサーヴィスがある。これらのサーヴィスの及ぶ範囲は大小様々であるが,それぞれの範囲に応じていずれも中央政府や地方政府が提供している。人によって政府が提供しているから公益ないし公共財であるというが,そうではな179(2)法学研究75巻12号(2002:12)くて,公益ないし公共財が特殊な性格を持つが故に市場を通じて供給されずに公共団体によって提供されると考えるべきである。そのことの次第を述べるのが本節の眼目である。以下では平和と秩序(peace and order)を例として考察の対象とする。これは国防と国内の治安維持のサーヴィスを一括したものである。この事例について述べることはそのまま他の公益の事例にもあてはまることは申すまでもない。 政府のない情況を考える。これは,各人を畏怖させ,その行動を規制する共通の権力がない状態であるから,そこに人間の本然の姿があることになる。それが平和の状態なのか,それとも闘争状態なのかが問題となるが,ホッブスによれば,それは後者である。前者ならば,そこに平和と秩序をもたらす機構としての政府が存在する必要はないからである。 さて一般に人々は多様な欲求をもつ。例えば衣・食・住はもとより自己の安全,子孫を残すとか他人より優越したいとかの欲求である。これら欲求の対象はすべからく稀少であることは経験上確認できる。その前提に立てば,これらの稀少な欲求の対象をめぐって人々は対立し,時には腕力に訴えてそれらを奪い合う。ひいては自己の欲求の最大の障害物の除去,つまり他人の存在を無にしようと試みる。この状態をホッブスは「万人の万人に対する闘 1)争状態」であるとした。 ところで人々はこの状態よりも平和と秩序の状態の方が望ましいとの選好 2)をもつ。どうしたら平和と秩序を達成できるかといえば,欲求対象物の奪い合いを人為的に規制することである。すなわち欲求対象物を分割して,この部分は「私のもの」,あの部分は「お前のもの」と線引きをし,線引きをした以上,相手のものには手を出さず,自分のものには他人に手を出させない,という約定を相互に認め合うことである。っまり財産権をそれぞれの対象物に設定し,それを認め合うことで平和と秩序がもたらされる。ここに財産権とは他人の介入を排除することを不可欠な要素とするものであるから,この処置の仕方は得心のいくものである。 逆に「奪い合い」とは同一の対象物に対し,複数の財産権があること,っまり財産権がオーバー・ラップしているということである。人は「万物に対(3)178 機能的政府の論理 3) し権利(財産権)をもつ」(rights to all things)とホッブスはいったが,それは万物(この中には他人の生命・身体をも含む)が人々の奪い合いの対象となっているということの彼独自の表現である。そこで「万物に対する権利」を人々が放棄し,権利の対象を各人の生命・身体・手許の支配物,にのみ限定し合うことが「奪い合い」を抑え,ひいては闘争状態を終結でき,そこに平和と秩序をもたらすということになる。 このような事の次第は各人がひとしくこれを認識し,その実現に双手を挙げて賛成することは疑いのないところである。しかし,人々は相互に合意の上で他人の財産権を侵害しないという契約を結んだとしても,それを遵守しないのである。なぜであろうか。他人の財産権を侵害しないことに協力するか非協力となるかについての各自の胸算用は, (イ)自分は総論では賛成する,皆が一致して協力するならば,自分も協力 しようということである。換言すると,皆が一致して協力する場合 (平和と秩序)の方が皆が一致して非協力の場合(闘争状態)よりも望 ましいということである。 (ロ)しかし,実際には皆が同一歩調をとるという保証はないし,むしろ各 自が個別に行動する公算が大である。その場合には自分一人が協力し ても平和と秩序がすぐ実現するわけではない。そしてその場合にはか えって他人の攻撃を誘うリスクが大である。他方,他人が協力し,自 分一人が非協力であれば,運が良ければ平和と秩序が成立し,自分は 労せずしてそれを享受できる。いずれにせよ非協力の方が自分にとっ て有利であると判断する。つまり各論で反対である。 4)ということである。正確を期すためにこれを定式化してみる。 成員の数をn人,平和と秩序が成立したとき彼が享受する便益の大きさを効用b,協力によって彼が失う効用をkとする。bもkも正の定数とする。ところで平和と秩序が成立する確率は,(予想協力者数/n),であるから,期待値で示した平和と秩序の彼の享受する便益は,(予想協力者数/n)×bである。予想協力者数が全員であれば,1×b,がその便益となり,予想協力者数がゼロならば,その便益は,0×b,である。自分以外に協力すると177(4)法学研究75巻12号(2002:12)彼が予想する者の数をm(0≦m≦n-1)とすると, 彼の協力の予想利得二(m+1)b/n-k 彼の非協力の予想利得二(m・b)/nである。協力の予想利得のうち(m・b)/nは他の協力者の余沢(spill-overeffect)であり,彼個人が創出した利得は(b/n),そのための犠牲は,一k,である。 予想協力者数の値如何を問わず,協力と非協力のそれぞれの予想利得の格差は一様に,(b/n)一k,であり,これが正か負かによって協力か非協力かが定まる。非協力,つまり各論反対の(ロ)が成立するには, (b/n)一k<0 (*) 5)でなくてはならない。 他方,「全員が一致して協力したとき」の彼の予想利得は,b-k,であり,さらに「全員が一致して非協力であるとき」の彼の予想利得は0であるから,総論賛成の仔)が成立するためには, b-k>0 (**)でなくてはならない。(*)と(**)とから (b/n)<kくbが成立しなくてはならない。これが総論賛成・各論反対の成立する必要・十分条件である。 もし,(*)の代りに (b/n)>kであれば,それより自動的に b>kが成立する。すなわち,各自が自発的に協力するなら平和と秩序は自動的に成立する。このときには人々を強制する必要はないから,そのための機構である政府の存立の理由もなくなる。かくて政府が存在するには,(*)と 6)(**)とが同時に成り立っていなくてはならない。しかし,(*)と(**)とが成立しさえすれば,そのことからただちに政府が存立可能かといえば,そうではない。政府が存立可能か否かの条件は別途に考察しなくてはな(5)176機能的政府の論理らない。1) T∬oδ66s,」L6zフi‘z!h‘zn oヂ!h6ノ砿α〃召ろFo7〃z6α多z4Poz〃670プαCo〃z〃zon一鷹ol!h E66」6吻sあ6α」α雇αz7歪1,ed.by M.Oakeshott(Oxford:BasilBlackwel1,1960),p.82.2)各人にとって他人の生命・身体・事物を奪うことは利であり,逆に自分が他人にそうされることは害である。そして人の性状として害の方が利よりも大であるとされる。もとより他人に害を加えながら,その報復を受けないのが最善で,自分が害を受けながらその仕返しができないのが最悪である。こ の最善と最悪を含め,その中間のどの情況に自分が位置するかは各自にとって不確実である。他方,他人に害を加えないかわりに他人からも害を加えられないことは,各人相互の協力さえあれば,確実になる。さて,前者の不確実な情況と確実な後者の情況のどちらを選好するかといえば,一般に彼等は後者を選好する。これはわれわれが保険を掛けるのと同じ原理である。この ような理由から人々が平和と秩序を闘争状態より望ましいとしていると考え ることができる。かかる理解の仕方はプラトン『国家』田中美知太郎訳,中央公論社(1978)359abc.pp.109-110の記述を参考にしている。ホッブスに はこのような推論はない。3) Hobbes,oP.6i渉。,P.83,P.85.4) ホッブスの自然状態を「囚人のディレンマ」と規定した著者には,例えば,H.Hemes,“Formal Theories of Intemational Relations,”Eπ70p6ακJo~‘ηz召J of Pol痂6α1ノ~6s6876h,3(1975),pp.69-83.L.S.Moss,“SomePublic Choice Aspects of Hobbesヲs Political Thought,”E魏07y oプPol♂蕗6αl E60no〃zy,9(2)(1977),pp。256-272.がある。5)R.Dawes,“Formal Models of Dilemmas in Social Decision Making,”in Hκ窺αn Jκ砲翻朋権n4Z)ωsion P7066∬6s,eds.byM.F.KaplanandS.Schwartz(New York:Academic Press,1975),pp.100-102を援用して いる。なお,ルソーの「一般意思」の目的は公益の実現であるが,公益はこ こでいう(**)にあたる。ルソー『社会契約論』桑原・前川訳,岩波書店 (1982), pp.35-47.6) 友敵関係を以て「政治的なもの」,したがって,国家の存在理由とするシ ュミット(C.Schmitt)の主張は不適切である。友敵関係が「政治的なもの」 になるのは(*)と(**)が同時に成立する場合であり,その場合に限ら れる。カール・シュミット『政治的なものの概念』田中浩・原田武雄訳,未175(6)法学研究75巻12号(2002=12)来社(1973),pp.14-17。すなわち,もし(**)が成立しないと,人々は闘争状態を平和より望ましいとしていることになる。他方,もし(*)が成立しないと,闘争状態終結のために人々は自主的に協力することになる。いずれも政府を必要としない。皿 人は与えられた条件の下で,できるだけ自己の情況を良くしようとして数ある選択肢の中から最も適当な選択肢を採用する。ここに自己の情況を自己 1)の効用で言い換えると,人は自己の効用の最大化を目的として最適な選択肢を採用するといってもよい。これがいわゆる自利の追求である。この場合,最適な選択肢の採用を通常は「行動」といっている。例えば,気温が高いと人は薄着をし,気温が低いと人は厚着をする。ここに気温は与件であり,選択肢は厚着をするか薄着をするかのふたつである。気温が高いという条件の下では効用を最大化する最適選択肢は薄着,気温が低いときの最適選択肢は厚着である。この事例から明らかなように与件のあり方と最適選択肢つまり行動とは1対1で対応する。換言すると,どの行動をとるかは与件のあり方次第である。もちろん与件といっても多種多様であるが,注意すべきことはある人にとっての与件が別の人にとっての操作の対象,つまり選択肢になることである。この事実が「人が他人を動かす」,「他人の行動を左右する」という現象をもたらす。 かりにAがBの与件を操作すると,Bの最適選択肢は変化する。その結果,Bの効用が低下することもあれば,上昇することもある。もとより与件は無数の項目から成り立っているから,そのうちのどの部分を操作するかでBの効用が上がるか下がるかが定まる。AがBの効用が下がることを企図してBの与件の一部を操作するとき,あるいはそうすると予告するとき, 2)AはBを強制しているという。 AがBの与件操作をするにはA自身の時間や労力,その他の資源を必要とする。これらを他の用途に投入していたら,なにがしかの効用が得られる(7)174機能的政府の論理はずである。したがって与件操作はこの効用の断念(効用の減少)という犠牲を伴う。他方,与件操作はBの最適選択肢をAの都合の良い方向に動かす,つまりAの効用を増す。前者の効用の減少と後者の効用の増加の比較によってAはBの与件操作に踏み切るかどうかを決める。後者が前者より大ならば踏み切り,逆ならば断念する。この意味でAも自己の効用の最大化を目的として強制力行使の決断をしていることになる。効用最大化という点ではAもBも変りがない。注意すべきことは,この強制力行使に即していえば,Aの効用を高めようとするとBの効用が低下しなくてはいけないことである。このようなときAとBとの利害は対立しているという。その 3)意味でAとBとは「敵」である。 もう一点だけ説明すると,強制力が有効であるためには,AによるBの与件操作が他の主体によって妨げられないことが不可欠である。そのためにはAのみがBの与件を操作できるということ(A’s monopoly over the useof B’s datum)が不可欠である。 政治権力について述べてみよう。それは複数の人々からなるグループにかかわるものである。ここにグループとは利益を共有する人々の集合をいう。そのグループの各成員が合意にもとづいて,ある特定の選択肢を採用するように互いに強制し合うこと(mutualcoercionmutuallyagreedupon)が政治権力である。すなわち,個々の成員がその特定の選択肢を採用しないとしたら,他の成員が結託して彼の与件を操作し,彼の効用を減少せしめることである。もとより効用の減少分は,その選択肢を採用した方がよいと彼に思わせる程度のものでなくてはならない。 これは,すべての個人の体力,知力,胆力がほぼ同一であるから,その他の成員の単一の結託によってのみ彼の与件を独占的に操作できることによる。もし与件操作をしようとする側が単一の結託ではなく複数の結託となるならば,それら結託間の競合によって彼の与件操作は不可能になる。また,与件操作をされる側に結託が生ずると,それだけ与件操作そのものがしづらくなり,強制力の行使が有効でなくなる。 ここで,グループの成員の数をn(n≧3)人とすると,任意の個人の与件173(8)法学研究75巻12号(2002:12)を他の(n-1)人からなる単一の結託が操作するということで,この,1:(n-1),の関係を各成員が受け容れるとき,彼は「統治されること」を望んでいるという。そして(n-1)人からなる単一の結託(これはn通りある)を主権者(thesovereign),他方,与件操作の対象となる孤立した個々の の成員(これはn人いる)を被治者(the subjects)という。かくして各成員には,(イ)主権者((n-1)人からなる単一の結託))の一人として,(ロ)もうひとつは被治者として,のふたつの立場がありうる。前者は集団行動の形で他の成員と協力して一人の被治者に相対し,後者は単独で自分以外の(n-1)人からなる結託に相対するというものである。 n二3として図示すると,以下のようになる。まず,cが契約に違反するときaとbとが結託してcの与件を操作し,もしbが違反すればaとcとが結託してbの与件を操作するという具合である。ここに主権者の構成は三 5)通りとなる。a←∀cb aC7 b\aCb 他方,個々の構成員についていえば,彼は特定の選択肢を採用するという約定の遵守とそれを破った成員の処罰(二結託への協力)に加わらなくてはならない。そのうち少なくともひとつを欠くならば,彼自身が違反者として処罰される。このふたつの事項を彼が履行するにあたって何らかの犠牲を負わなくてはならないから,問題はそれを上回る利益(ここでは公益)があるか否かということである。この点の吟味は後の節で行う。 このような(n-1)人からなる単一の結託の代りに個人や複数の人々からなる合議体が(n-1)人の代理となる場合がある。それらの代理を主権者というのが通常であるが,それでも話は変わらない。これら代理人の背後に(n-1)人の結託の力があればこそ彼等が強制力を行使できるからであ(9)172機能的政府の論理る。代理人を主権者とするのは分業の利益の追求のため,つまり意思決定を効果的に行うためである。主権者を(n-1)人の単一の結託とするか,それとも代理人とするかは分析目的に応じて考えればよいことである。例えば,代理人が,被治者のnの人の意向と乖離するような執行をすることが問題となるとき(例えば独裁制のケース)に代理人を以て主権者として議論した 6)方がよいが,本稿のように主権の根源がどこにあるかを問うときには(n-1)人の単一の結託を主権者とする方が直戴的であり,望ましいと考える。1) あるものxが「ない」よりも「ある」方がよいと人が判断するとき,xはその人に効用をもたらすという。効用をもたらすxを財といい,また,それを善ともいう。平和が「ない」よりも「ある」方がよい,あるいは自分の子供のみならず他人の子供の健康が「ない」よりも「ある」方がよいと人々が判断するなら,それらは人々に効用をもたらす。つまり財あるいは善である。 このように効用をできるだけ高めることをただちにselfishと断ずることはで きない。倫理的な命題も人々の効用極大化行動から導出できるのである。2)AがBに権力を行使することをウェーバーは「Bの意向に抗してAが自分の意思を貫徹できる確率」だという。確率が1ならば権力行使は完全,0ならば無効というわけである。ダールは「AがBにそのしたくないことをさせることができること」としているが,「Bの与件を操作することによって」 という要素が両者の主張には欠落している。与件操作に言及したのはナイトが最初である。M.Weber,Wirtschaft und Gesellschaft,F茸nfte RevidierteAuflage,besorgt vonJ.Winckelman,1972.(J.C.B.Mohr:丁茸bingen)S.28.R.Dahl,“The Concept of Power,”B6hα毎o耀6S6i齪66,2,1957.p.203.F.H.Knight,“The Conflict of Values:Freedom and Justice,”in(}oαlso〆E60盟07ni6五漉,ed.,by A.Dudley Ward(New York),1953,p.208.Aによる与件操作の結果として生ずるBの効用の減少分を,AによるBに対す るペナルティーと呼ぶ。詳しいことは拙稿「国家と権力の理論」,萩原その他著『国家の解剖学』日本評論社(1994),pp.120-122.所収。3) カール・シュミットの友敵理論においては「敵」の定義が明確ではない。本論文ではAの効用の増加(減少)がBの効用の減少(増加)をもたらすと き,AとBとが敵であると規定する。4) フォレットは次のようにいう。Real authority inheres in a genuinewhole.The individual is sovereign over himself as far as he unifies the171(10)法学研究75巻12号(2002:12)heterogeneous elements of his nature.Two people are sorereign overthemselves as far as they are capable of creating one out of two.A groupis sovereign over itself as far as it is capable of creating one out of severalor many.A state is sovereign only as it has the power of creating one inwhichallare.(M.P.Follett,Th61〉6甜S副召,PemStatePress,1918/1988,p.271.)その要点は「多くの人々が単一の行動主体になるプロセスこそ主権が創出されるプロセスである」(“Theprocessofthemanybecomingoneisthe process by which sovereignty is created.”Follett,op.6i‘.,p.272)という点にある。また,ボサンケーは「統治は事実の上からも原理の上からも一人に対するその他の者の強制として現われる」(Govemment,in fact andin principle,reveals itself as coercion exercised by the“others”over“theone』’B.Bosanquet,Th6Philosophi6αl Th607y o〆!h6S嬬6.Macmillan:London,1910.p.76.)また,彼は「自治とは各自が自己を統治するというこ とではなく,各自をその他の全員が統治することである」(The‘selfgovemment’spoken of is not the govemment of each by himself,but ofeach by all the rest.Bosanquet,op.6π.,p.74.)と述べている。5) 潮田の国家団体とはこの結託を指すものと考えられる。潮田江次『主権と民主政治』泉文堂(1949),pp.106-108.を参照。6) この点については第IV節の最終のパラグラフで論じている。lV 平和と秩序という公益の実現にっいて各人がフリー・ライダーとなろうとすることから,その公益が実現されないことを第II節で確認した。本節では,各人がフリー・ライダーにならないように相互に強制し合うメカニズムを考察する。前節と同様に平和と秩序を共通の利益とするn人を考え,彼等はすべての点で同一であるとしよう。個々のメンバーをB,その他の(n-1)人のメンバーからなる単一の結託をAとし,AがBを強制してフリー・ライダーとなることを防止するメカニズムを説明しようというのである。 そのメカニズムとは,Bが非協力つまりフリー・ライダーになることを選択すれば,罰せられること,したがって,「その処罰を考慮すると,むしろ(ll)170機能的政府の論理協力の方が有利である」とBをして思わしめるように,AがBの与件を操作する,あるいはそうすると予告することである。罰として苔打を考えよう。苔打が1回から2回へと増えると刑罰は重くなる。これをxが1から2へと変化すると表示する。xの値が増すにつれてBの非協力の場合の効用は低下する。例えば,xが1だけ増えるにつれBの非協力の効用はv(vは正の定数)だけ減少するとしよう。もとよりxの値を定めるのはAである。 では,Bが協力したときはどうか。協力の中には違反者の処罰への協力(=結託への協力)がある。これはBの時問や労力を奪う。これはBにとって負担である。というのは,その時間や労力を他の用途に使うならば,なにがしかの効用をBは得るはずであり,協力はその効用の断念を意味するからである。断念されるべきこの効用は刑罰の大きさxに正比例すると仮定し,それをU・X(Uは正の定数とする)としよう。 いまBが自分を除くm(0≦m≦(n-1))人が協力するものと予想してい 1)るとしよう。このときBが協力によって得る予想利得は ( m 十 1 )(b-ux)一k nであり,他方,Bが非協力によって得る予想利得は (m)(b-vx) nとなる。どちらの選択肢の予想利得が大きいかはxの値如何による。両者を均等にするXの値をxe(m)とすると, x e( m ) 二 n [ k 一b一] 但し,mvキ(m+1)u mv一(m十1)u nを得る。以上を表にしてみると,次のようになる。協力者数(m)m=0m=1協力の予想利得1 一(b-ux)一kn2 一(b-ux)一kn非協力の予想利得0㊥ 一 VX ⊥nxex e( 0) 二 n [k 一一b] 『u n xe( 1 ) 二 n [ k一 一b] v-2u n169(12)m二2 3 一(b-ux)一kn2 一(b-vx)n法学研究75巻12号(2002:12) xe (2 ); n [ k一 b] 2v-3u nm二n-1工L(b-ux)一k nn-1 ( )(b-vx) nxe(n-1) n [k 一 一]b一(n-1)v-nu n さて,予想協力者数がm人であると仮定した場合,彼は X≧xe(m) なら協力し, 0≦x<xe(m) なら非協力を選択する。Xは非負でなくてはならないが,その範囲内では,かりにxe(m)が負となると,非協力の予想利得が協力の予想利得よりも常に大とな 2)ってしまい,議論が成り立たなくなってしまう。そこで,xe(m)は正でなくてはならない。mは0から(n-1)までの数値をとるから,xe(0),xe(1)……,xe(n-1)がすべて正でなくてはならない。xe(0)は後に議論するとして,かりに v>2uを仮定すると,v>2u>uであるから, 0<v-2u<2v-3u<……<(n-1)v-nuが成り立ち,ここで, xe(1)>xe(2)>xe(3)>……>xe(n-1)>0 (***)を得る。 所与のmの値について,表にある協力と非協力の予想利得の関係を図にすると,次頁の上図のようになる。 まず,m二〇のとき 協 力 の 予 想利 得 二 ( b一 k) 一 1ux n n 非協力の予想利得二〇になるから,彼は非協力の予想利得の方が大であるから非協力を選択する。(13)168機能的政府の論理m=1m一・{、 \)1ーI IIII-1-IIIIIIIIII10Xe(n } 1) Xe(0n 一 1 b)k bn k 一 一nb 鋤』n()k 一b万({ {1 (n言1)b一一(n言1)vx X b 1 2b 2 }一一vx 一一k一一ux n n n n \ b 一一k一l一ux n n:xe(1)●\Xb-k-uxそしてこれはすべての成員にあてはまるので,全員が非協力を選択することになるから,そのときの各人の最終利得は横軸上の太線で示されるようにゼロになる。 m=1のとき, 協 力 の 予 想 利 得 二 (2b一 一 k ) 一一2 ux n n 非 協 力 の 予 想 利 得 = 一b一 一1 vx n n 167(14) 法学研究75巻12号(2002:12)で,交点に対応するxe(1)を境にして, x≧xe(1),なら彼は協力を選択する。このことは全ての成員にあてはまるから,全員が協力を選択することになる。その結果,各成員の最終利得は,b-k-ux,となり,これは図の太線で示されている。 0≦x<xe(1),なら彼は非協力を選択する。これはすべての成員にあてはまるから全員が非協力を選択し,その結果,各人の最終利得は横軸上の太線で示されるようにゼロとなる。 さて,太線で示された部分が主体Aの選択のメニューとなる。Aの目的は成員各自の最終利得の最大化にあるから,そうなるようにxの値を決定する。つまり, Max a(x) Xここに ・依)一{1-k螺認(1)である。上と下の図から明らかなように最適解は, ωb-k-uxe(1)>0 なら x二xe(1) (上図) (ロ)b-k-uxe(1)<0 なら 0≦x〈xe(1) (下図)のように決定される。 (イ)のケースでは,Xはxe(1)に定められるから,すべての成員は協力し,各自の最終利得は,b-k-uxe(1),である。 (ロ〉のケースでは,xはxe(1)未満の水準に設定されるから,すべての成員は非協力を選択し,その結果,最終利得はゼロである。このことは無政府状態が選択されるということである。 m;2のときも同様な手続きによって解答が求められる。最適解が仔)のケースのx二xe(2)となると,各人の最終利得は,b-k-uxe(2),であり,また(ロ)のケースの0≦x<xe(2)のときには最終利得はゼロとなる。これが無政府状態であることはm二1のケースと同じである。(15)166機能的政府の論理 ところで,6)のケースに焦点を据えると,予想協力者数(m)が大きくなるにつれて各人の最終利得が大きくなる。つまり,(***)より 0<[b-k-uxe(1)]<[b-k-uxe(2)]<…<[b-k-uxe(n-1)]ということを得る。これはmの増加に伴って統治機構成立の可能性つまりb-k-uxeが0より大きくなる可能性が増すことを示す。逆にmの値が小さくなると,その可能性は減る。そしてm二〇の場合には,xが非負の領域では,どのようにxを大きくしても非協力の方が人々にとって有利となるため無政府状態が選択されるのである。 mはこの集団にとって所与であるから,外部の勢力によってmの値が低くされると,それは既に存在する統治機構を解体の方向に押しやることになる。外部勢力による武力の誇示やプロパガンダ等の工作はまさにこのメカニズムの作用を通じてであると解される。 kについても同様のことがいえる。kはこの集団にとって所与であるが,kの上昇はkそのものとxeの上昇を通じて人々の最終利得であるb-kuxeの低下をもたらし,もしそれがゼロ以下になれば,統治機構は解体する。kはその集団の支配しうる資源が稀少になるにつれて上昇する。冷戦のような資源を消耗する場合がそれであって,旧ソ連邦の解体やアフリカ諸国における難民の発生はこのことの事例と解しうる。国際機関によるカンボジアやアフガニスタンヘの援助はkの低下,mの上昇を通じて統治機構の実現を図るものと考えることができる。 なお,ここで政治形態の議論との関連に言及しておく。例えば,独裁制や寡頭制の場合には少数のメンバーの私的利益の実現が公益の名の下に集団行動の目標とされている。これは各成員にとって真の公益ではないから,記号では, b二〇であり,したがって,各成員の最終利得がマイナス,つまり b-k-uxe(m)<0 0≦m≦(n-1)ということになる。この式が示すことは,相互強制による集団行動がかかる一部のメンバーの私的利益の実現のために採用されてはならないことを示す。165(16)法学研究75巻12号(2002:12) 以上のメカニズムは中央政府についてのものであった。通常はこれは国家論というテーマの根幹部分とされるものである。しかし,このメカニズムは中央政府のみに見られるものではない。いわば地方公共財とか地域的な公益を実現するメカニズムでもある。例えば,農村における用水の確保とその秩序ある分配(分水)はその地域の公益である。また入会と呼ばれる山野の利用についても同様である。ここでも公益実現のために相互強制のシステムが 3)採用され,機能上の政府が存在するのである。 4) このように多種類の公益の実現のために各グループ内でそれぞれ強制力が用いられるが,それら強制力の相互の問には格差がなくてはならない。すなわち緊急度の高い公益であれば,それに応じてより大なる強制力が,また緊急度の低い公益には,それに応じてより少ない強制力が配分されるといった 5)具合である。この論証については拙論で考察したからここでは触れない。しかし,緊急度の最も高い公益とは生命・身体・財産の保全のサーヴィスであって,そのサーヴィスの提供にかかわるグループが国家(ないし中央政府)に他ならない。かくて国家は最高の強制力行使の機構(the bearerofsummapotestas)である,との結論を得る。1) このような定式化に修正できたのは寺田敏之君(政治3年C組)の指摘に よるものである。記して謝意を表する。筆者自身はかって, 協 力 の 予 想 利 得 二 (m 十 1)b-k-ux n 非協力の予想利得=(m)b-vx n とした(拙稿「囚人のディレンマ・「誰が猫の頸に鈴をっけるのか」」『法学研究』72巻9号,p.7.)が,刑罰xの設定は統治機構の成立によって初めて可 能 に な る も の だ か ら , UX の 成 立す る 確 率 は ( m十 1),また,VXのそれは n (皿)と考える方が議論の筋が通る。 n2)v<2uのときにはxe(1),xe(2),……,xe(n-1)はすべて負になり,x≧0の領域では常に非協力の予想利得が協力の予想利得を上回る。すなわち,(イ)v<u<2u のときには,(17)164機能的政府の論理 0>v-2u>2v-3u>。・・一・>(n-1)v-nuであるから, xe(1)<xe(2)<…一・<xe(n-1) になるが,これらはすべて負である。(ロ)u<v<2u のときには, v-2u<2v-3u<一・一・<(n-1)v-nu であるから, xe(1)>xe(2)>一… 。>xe(n-1) となるが, 0>xe(1) であるから,xe(2),・一…,xe(n-1)はすべて負である。 なお,xe(1)について図解すると,下図のようになる。¥b 『 魎 『 、、、『●、一一_ 1 、-一 『一 一一n1 、¥1一、、『} 、IIl-IIII一、、 ¥ 、n2b -k,』III圏xe(1) 0 \皿⊥nb「n\ 2b 2 一一k一一ux n n X また,(イ)と⑰のケースのうちどちらを採るかと言えば,(ロ)のケースである。いま,xe(n-1)を考えて,nを限りなく大きくすると, l im x e( n- 1 ) 二 k n→。。 V-Uになる。この右辺がプラスであるためには, V>Uでなければならない。つまり,グループの規模(国家の規模)が大きくなる場合(例,U.S.Aや旧ソ連邦)には,(イ)を仮定すると統治機構はxの値(x≧0)如何によらず成立しえないことになるからである。163(18)法学研究75巻12号(2002:12)3)個々の公益について,その受益者が同時に負担者であること(二fiscalequivalence)が資源の有効利用の上から要請されるとオルソンは説く。fiscal equivalenceは本稿の議論でっねに成立していると仮定する。4) グループをひとつの利益を共有する人々の集合と定義しているから,これ を共同体と呼んでもよい。もとよりここでは共同体(グループ)は契機別に定義している。例えば,水利についての共同体,山野利用についての共同体 という具合である。それらは本来重なり合ってひとっとなっていたが,市場の広域化に伴い,ひとつずっ分化し,かつ消長していくことが確認されてい る。共同体をひとっに重なり合った完結的共同体とのみ考え,それが一気にある時点で消滅したと考えることは無理である。このことが我国の経済史家によって実証されている。中村吉治『日本の村落共同体』日本評論社 (1977),pp.137-140,197-199,参照。5) 拙稿「国家と政治一選択理論による分析」『法学研究』,61巻5号(1988) を参照。V 1.公益を複数の人々にひとしく享受される利益といい,その人々の集合をグループという。公益の実現にはグループの各成員の一致協力が必要であるが,彼が自発的に協力するときもあれば,非協力のときもある。前者の場合には公益は実現し,後者では実現しない。各成員が協力するのは公益実現に関してフリー・ライダーにならない場合であり,非協力になるのはフリー・ライダーをきめ込む場合である。フリー・ライダーになるか否かの条件は, (b/n)<k<bが成り立つかどうかである。ここに n:成員の数,k:成員一人当りの協力のコスト,b:成員一人当り の公益である。この条件の下では各成員がフリー・ライダーになろうとするから,そうならないように人為的に彼を強制する必要がある。 2.では誰が各成員を強制するか。それは各成員が相互に強制し合うこと(19)162機能的政府の論理である。具体的には,任意の個々の成員がもし協力しないならば,その他の成員が結託して彼の与件を操作し,「むしろ協力する方が有利」と思わせる程度に彼の情況を悪化(worse-off)させること,またそのようにすると予告することである。ここにその結託を「政府」(主権),個々の成員を被治者という。 3.この強制のシステムは各成員にコスト(k+uxe)を課す一方で,公益(b)をもたらす。後者が前者より大,つまり b>k十uxe(m) 0≦m≦n-1であれば,このシステムは割が合うものとして実現可能であり,かくて公益は実現する。不等号の向きが逆であれば,システムは実行不可能であり,公益はそのため実現しない。 4.予想協力者数mや成員一人当りの協力のコストkの変化は上の式の不等号の向きに効果を及ぼす。mが大になると,右辺が小となり,システムの実現可能性は高まり,他方,kが大になると,右辺は大となるから,システムの実現可能性は小となる。例えば,平和と秩序という公益を提供する中央政府にっいていえば,外国からの武力誇示やプロパガンダはmの値を低下させる。そのため右辺が大きくなる。それが極端になると,左辺が右辺を下回わることになり,ここに統治のシステムの崩壊が生ずる。いわゆる無政府状態がそれである。 対外的な孤立化はkの増大をもたらすから,同じように統治システムを崩壊させる方向に作用する。 5.政府を(n-1)人からなる結託としたが,分業の利益の確保のため少数の代理人を置き,それを政府とするのが通常である。この代理人が競争の圧力がないときには往々にして自己の私的利益をこのシステムによって追求しようとすることがある。この場合は公益がないことであるから,b=0,であり,かくて, b<k十xe(m)が成立し,強制による集団行動は成員にとって割の合わないものとなり,正当化されないことになる。161(20)法学研究75巻12号(2002:12) 6.以上の命題は国家レヴェルの公益についてもそれより下位のレヴェルの公益についてもひとしく成立するものである。[附記]本論文とほぽ同一の内容を法学部政治学科の政治経済システム論で講 義し,またその一部ではあるが,それを大学院での政治・社会合同演習の報 告にも用いた。コメントを双方の出席者より受けた上で本稿を執筆したので, いくっかの点で改善を図ることができた。記して謝意を表する次第である。 (2002・9・22脱稿。)(21)160
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執筆者紹介・第75巻第11号目次
〜豪◆毒◆毒◆曇◆寺◆寺◆毒◆≒◆≒◆書◆睾◆等◆寺◆等◆3 ゆ ψ叩 ◎φ 脚脚 ひφ咽 ひ◆ 明 ◆◎ 州噌 ◎φ 、沖 ◆障 田 中 宏 ひφ噌 ◆輔 ◎φ咽 ひφ コ コ丁φφ 障φ ◎ 劃φ一 ◆ψ ゆ輔 ◆◆ -- ひφ ひψ 州欄 ◆ψ 剛◆ 州 ◆φ 瑚咄 ひ 執筆者紹介偲木村弘之亮法学部教授劃 法学部教授φ ミュンヘン大学 -φ成 升鉱客員研究員膝 堀雇 功法学部教授ひ瞳坂原正夫法学部教授齢蜘杉田貴洋帝京大学専任講師堕岬三木浩一法学部教授剥創川嶋隆憲大学院法学研究科幡 前期博士課程・宮澤浩一名誉教授◎’一一曾◆も◆≒◆亀◆も,甲一7◆一”一=,冊一写◆毛◆毒◆寺◆一一一冒◆も◆畠一了◆己警転 第七十五巻 第十一号 目次 論 説ジンバブウェにおける都市民と政治 井 上 一 明 ーハラレをケースとしてーOs浮℃窪巴身ぎ冒B鰹 =国菊菊ζ>ZZ」o碧臣ヨ >⇒..>σωg目α..℃g⇒一ωげ一β①p什 資 料 連邦取引委員会および米国司法省競争者間の提携に関する 金子 晃 反トラスト・ガイドライン /訳 佐藤 潤会社更生法改正要綱試案についての意見(二・完)宗 田 親 彦 判例研究〔商法〕四二七議決権の行使に関する合意の効力 商法研究会〔下級審民訴事例研究 四八〕 民事訴訟法研究会 特別記事片桐庸夫君学位請求論文審査報告
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田中宏教授略歴・主要業績
田中宏教授略歴田中宏教授略歴一九三八年二月 日学歴一九六二年三月一九六四年三月一九六七年三月一九九〇年神奈川県生れ慶鷹義塾大学経済学部卒業慶鷹義塾大学大学院経済学研究科修士課程修了同博士課程修了経済学博士(慶鷹義塾大学)職歴一九六七年四月一九七〇年四月一九七四年四月一九八二年四月慶鷹義塾大学法学部助手同専任講師同助教授同教授 所属学会日本経済学会、公共選揮学会、国際政治学会、日本政治学会155法学研究75巻12号(2002:12)田中宏教授主要業績 著編書『インフレーション論』(単編訳)『政治学の方法とアプローチ』(共著)『国家と権力の経済理論』(単著)『国家の解剖学』(共著)『政治・社会理論のフロンティア』(共編著)『マクロ経済学入門講義』(単著) 学文社 学陽書房慶磨義塾大学出版会 日本評論社慶鷹義塾大学出版会慶鷹義塾大学出版会一九七八年一九八四年一九九〇年一九九六年一九九八年二〇〇二年 論文「体化された技術進歩に関する諸論点」「有効需要、過剰設備および物価水準」「有効需要、過剰設備および物価水準「アメリカ貿易政策の規定因」「有効需要と資本設備」「遊休設備、失業および異質的資本財」「新古典派的投資理論について」「代議制民主主義と情報のコスト」訂正と補充」 『三田学会雑誌』五九巻八号 『三田学会雑誌』六一巻二号 『三田学会雑誌』六三巻三号藤原博士記念論文集『アメリカの対外政策』 『法学研究』四五巻三号 『三田学会雑誌』六七巻五号 『三田学会雑誌』七〇巻二号 『法学研究』五三巻九号一九六六年一九六八年一九七〇年一九七一年一九七二年一九七四年一九七七年一九八O年156田中宏教授主要業績「競争的民主主義における機能不全について」 『法学研究』五四巻六号 一九八一年「市場機構による最小国家生成について」 『法学研究』五五巻一号 一九八二年「インフレーションと失業」 大熊一郎・伊達邦春編『理論経済学』青林書院新社 一九八三年「規範政治学の基礎 ソーシャル・ディレンマとインテンシティー」 慶鷹義塾創立一二五年記念論文集 法学部政治学関係 一九八三年「合理的選揮と政治理論」 『法学研究』五八巻一〇号 一九八三年..↓≦o<凶①≦ωo貼90国ヨ①鑛窪80脇90三一巳∋巴ω㌶冨一↓箒冒<一ωぎ一〇=響α国巻一き蝉二〇⇒<.ω ↓箒ωoo巨Oo日轟9↓箒o曙、. 映竃o〜ミ§ミ騒、ミミ参Zoひ」Oo。“。..↓○≦餌こω鋤Zo目ヨ簿貯①℃o一三〇巴↓冨o蔓、、 ℃ミミ魯Oぎ魯軸Goミミ塁曽Zo。o。」Oo。①。「強制力と比較優位」 『法学研究』六〇巻四号 一九八七年「強制力と差別」 『法学研究』六一巻一号 一九八八年「国家と政治ー選揮理論による分析」 『法学研究』六一巻五号 一九八八年..問o皿昌3諏oコωo剛帥Zo『ヨ讐一くΦ℃〇一一鉱o巴↓冨o身、. 映竃o〜ミミミミ、ミミらG。)Zo。9一〇〇〇〇〇’.、℃o毛震>ω匡鋤臥ヨ一Nぎぬゆ魯餌<一〇『、、 ヒo罫ミ凡ミミしり亀§R)ZρG。“」Oo。P「国家の理論」 『三田学会雑誌』八四巻一号 一九九一年「最適国家の理論」 『法学研究』六五巻七号 一九九二年「共同体と権力」 『法学研究』六八巻一号 一九九五年「政府の役割について」 『法学研究』六九巻二一号 一九九六年..『8同ヨ餌二〇pヨ自器ロ8きαO①目oR碧『、、 映竃◎〜ミミミ象、ミ§含Zo」ρ一〇89「囚人のディレンマ・誰が猫の頸に鈴をつけるのか」 『法学研究』七二巻九号 一九九九年「国家の生成と崩壊ーホッブス理論の国際政治への拡張」 『法学研究』七三巻二号 二〇〇〇年157
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嚇-毛 ゾイ、’田中宏教授貯響 備転幽函で、)’野凱薪島 ウ瞥ごぽ博
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カイザー=シェッヒ著『犯罪学 少年刑法 行刑 第5版』 カイザー=シェッヒ著『行刑 第5版』
紹介と批評カイザー”シェッヒ 『犯罪学少年刑法行刑第五版』 (二〇〇一年)カイザー”シェッヒ 『行刑第五版』(二〇〇二年)一 今回取り上げる犯罪学関係の二著の筆者、カイザーとシェッヒは、共に、テユービンゲン大学のハンス・ゲッピンガーが、一九六二年に創設した犯罪学研究所で助手を勤め、薫陶を受け、その学問的後継者として巣立ち、ドイツの犯罪学・刑事政策を支え、推進して来た優れた研究者である。 ゲッピンガーは、「統合科学的・経験的犯罪学」を提唱し、その実証研究として「テユービンゲン若年犯罪者研究」を実施し、犯罪原因論に新たな局面を開こうとし、「ドイツ学術補助財団」の協力を得て、膨大な資金と労力をつぎ込み、青少年・若年成人の犯罪者と比較群を対象にした調査研究を試みたことで有名な学者であった。その研究は、結局、失敗に終わったが、研究所から巣立った人々が、ドイツの各大学で教授として活躍し、ドイツの犯罪学の展開と発展に大きな貢献をしたことで、結果的に、大きな仕事を残した。ニ テユービンゲン大学犯罪学研究所で助手を勤め、業績を認められて研究者の道へと進んだその門下の大学教授は極めて多数である。カイザーは、一九七〇年に、フライブルクのマックス・プランク・外国・国際刑法研究所の犯罪学部門の所長となり、その指導の下で、国際的に高く評価された多くの業績を残し、多数の後継者を育成した。シェッヒは、一九七四年に、ゲッティンゲン大学教授に招聰され、犯罪学・行刑研究所を設立し、優れた業績を上げると共に、多数の学位論文を指導し、ドイツの刑事政策の水準を高めるのに大いに貢献し、一九九四年に、シューラー“シュプリンゴルムの後任として、ミュンヘン大学教授に就任し、犯罪学研究所を主宰している。ハンス随ユルゲン・ケルナーは、一九七七年にハンブルク大学教授となり、特に、ドイツ保護観察協会に関与し、活躍し、その優れた語学力を生かし、パリに本部のある国際犯罪学会の学術委員長、会長を歴任し、一九八五年には、引退したゲッピンガ145法学研究75巻12号(2002:12)1の後継者として、テユービンゲン大学教授となり、古巣の同大学犯罪学研究所長となった。ウルリッヒ・アイゼンベルクは、ベルリン自由大学教授となり、犯罪学の著書(五版 一一〇〇〇年)、特に、ベストセラーとなった少年裁判所法の注釈書(九版 二〇〇二年)で名声を得ている。イェルク随マルティン・イェーレは、一九八六年に新設されたウィースバーデンの犯罪学研究センター所長となり、幾多の優れた業績を残し、一九九五年に、ミュンヘン大学教授に転じたシェッヒの後任として、ゲッティンゲン大学教授となり、犯罪学・行刑学研究所長に就任した。ミヒャエル・ボックは、一九八五年に、引退したメルゲンの後任としてマインツ大学教授となり、犯罪学の著書(二版 二〇〇〇年)、べーム教授と共に、ゲッピンガー教授の主著犯罪学の五版(一九九七年)の改定を行ったことで知られる。また、ディーター・ロェースナーは、裁判官等、実務家を経験した後、一九八五年から、研究所の助手をしていたが、一九八八年にゲッティンゲン大学のシェッヒの研究所に移り、研究と教育に従事し、一九九三年に、ハッレ大学教授となり、「加害者・被害者和解」の専門家として多くの業績を残し、一九九八年には、マールブルク大学教授に転じた。このように見てくると、ゲッピンガー門下の人脈は、ドイツ犯罪学の主流をなしていることが分かる。三 カイザーとシェッヒの手になる二著を紹介する。「犯罪学少年刑法行刑」は、一九七〇年代の大学改革の一環として、法学部学生の国家試験の受験科目の改正があり、選択科目が整理された際、刑事法の分野にこの三科目が選択科目として設置された。本書は、法学学習コース(冒-二豊ω9Rωε9窪犀自ω)のシリーズの一冊として、一九七八年に出版された。類書には、d三9田ω窪びR堕囚ユヨぎo一〇讐①し仁鵬窪房け轟坤①9“ω霞畦<o=Ng鵬。①’>亀一こ88旧=虫ぎ 』仁p咳=お堕)“男巴8 N一』ヨ ≦鋤巨壁3区ユヨぎo一〇笹①』仁鵬窪α雪『鉱おo窪ooq亀<o}一N⊆の。N。>三一こ一〇〇〇〇〇“=m霧』o霧三ヨω3器こ①『)囚ユヨぎo一〇臓Pω.》亀一’)一〇〇鱒αRωこ ㍉=篶昌αωq駄『①o算 ≦罵冨魯緯房ω賃鉱『Φo窪望轟才o=N轟』、>⊆準曽這旨等がある。本書は、これらの中で内容的に最も新しい。 手元にある三版(二五七頁)、四版(二七三頁)と比べると、新版の頁数は二七六頁であるから、大きな改定ではない。だが、項目数は、前版が二〇項目であったのが一六項目になっている。最初の項目(一ー三)で、犯罪と刑罰に関する理論や研究方法の説明を整理したこと、それに続く項目(四-六)で、責任能力、改善・保安処分及びそれ146紹介と批評に関連する最近の危険な性的犯罪者に対する立法を考慮したこと﹇前著では、七「精神病質事例」と九「社会治療事例」に分けていたのを五「性癖犯人事例」にまとめている﹈、ドイツ統一前に起きた「ベルリンの壁を越境した者を射殺した旧東独の兵士の事件」﹇前著では一七「強制収容所暴行事件」を扱っていた﹈を取り入れたことなど、問題点を整理し、内容的に一層洗練するべく努めている。 新版を手にして、一九八六年冬学期にゲッティンゲン大学のシェッヒの研究所で見聞した事を思い出した。まさにその頃、本書の三版の改訂作業中であった。助手たちが、手分けして、立法・判例・学説の動きをチェックし、原稿の書き換えに没頭していた。判例集や雑誌に掲載された関連事項をメモ書きし、新刊の著書・論文に目を通し、旧版の頁のコピーに記入する作業をしていた。助手をキャップに、副手(ωε号筥一零ぎ田野ξ餌εを動員し、丹念かつ細心の注意をもって改定のための準備が進められていた。ドイツの教授の研究室では、いつでも見られる光景であるが、組織的に学問を推進するためには』将功なりて万骨枯る」というのはオーバーであるが、研究補助者が一体となって当たるティームワークの凄さを感じさせられる風景である。この修練を通じて、助手や副手の中から、教授に認められ、学位論文を書く機会が与えられ、さらには、教授資格を取得する論文の執筆許可があり、そのような手順を経て、優れた論文と後継者が生み出される。一種の徒弟制度ではあるが、学問的生産性という点では、我が国では真似の出来ないシステムである。 この著作は、「法学学習コース」の一冊であり、各項目毎に、まず詳しい事案を挙げ、設問が続き、模範解答を示すという形をとっている。ドイツの国家試験の「論文式問題」のための模擬試験参考書という性格をもつ。事案は、日本の類書のそれと比べるとかなり詳細である。模範解答には、最近の立法動向、判例の動き、学説が詳細に説明され、巻末の文献集が詳細であり(二二頁)、受験生の勉学に有用な手引きとなっている。国家試験受験用の参考書ではあるが、関連資料の検索、論文の構成など、ドイッの刑事政策に関心を持つ院生や若手の研究者にとっても十分参考に値する著作である。詳細にわたる紹介は省略するが、項目五-七を読めば、直近までのドイツにおける責任能力論、処分論、それと関連する「危険性の予測の問題」について適切かつ詳細な情報に接することが出来る。もっとも、学問的には「行刑綱要」の叙述を参照する方が良いであろう。147法学研究75巻12号(2002=12)四 行刑に関する綱要(冨ぼσ⊆3)の初版(一九七四年)は、カイザー、シェッヒ、アイト(=、甲田祭)、ケルナーの四人の共著であった。このうち、アイトは、当時、テユービンゲン大学犯罪学研究所の助手で、ゲッピンガーの指導の下でアメリカの青少年犯罪者の社会内処遇に関する論文(一九七三年)で学位を取得していた。その後、実務に転じ、現在、コーブルクで弁護士をしている。本書は、四版が一九九二年に出ているが、一九九一年には、新書版の「行刑 四版」が公刊されていた。新書版の構成、内容など、「綱要」とほぼ同じであるが、学生の受験を意識し、コンパクトな叙述になっていた﹇その初版は、一九七八年の「綱要」二版を圧縮した形で、二版と銘打って同年に出版された﹈。「綱要 五版」では、共著者から、ケルナーの名が消えた。序文によると、ケルナーから、多くの項目について改定に関する内容豊富な原稿や関連するデータなどが提供されたが、内外の仕事に時間を取られ、十分な協力が出来なかったため、共著者から下りるとの申し出があり、了承したとのことである。確かに、ケルナーは、相変わらず、ドイツの犯罪学者の代表として国際的な活動を続ける一方、ドイツ保護観察協会のほか、ドイツ犯罪防止・犯罪者保護財団(O①暮零箒ω課9躍旨『くR耳g訂霧く牢暮ε轟⊆区ω霞駄敬=眞窪三一8)の代表者の任にあり、超多忙なスケジュールをこなしている。この点との関連で指摘したいのは、前著では、各章の執筆者については序文の後の頁に一括して記載されていたが、新著では、各章の欄外に執筆者が明記されている。シェッヒの場合は、ミュンヘン大学の犯罪学研究所の豊富な研究補助スタッフが動員されたのであろうが、カイザーの場合、定年退職後、マックス・プランク研究所の助手たちが、前官礼遇により、改定に全面協力をしたことであろう。この意味で、直系の弟子のハンス目イェルク・アルプレヒトを後継者に残したことは、定年後に研究を継続するうえで、重要な意味があったというべきであろう。 本書の内容。前著と比べ本文で約七〇頁削減されている。もっとも、活字のポイントを落とし、行間を詰めているので、全体としてみれば、内容的には大きな変化はないように見える。子細に検討すると、叙述の重点を変え、明確な問題意識を提示しようとしている事が分かる。前著と変わった部分について述べよう。第一部「行刑の概念、歴史、目標」は、前著の第一部とほぽ同じであるが、行刑の歴史的発展については、ドイツ国内の動きを順序だてて説明し(九i六〇頁)、外国における動向を一ニカ国について概観148紹介と批評しているのが新機軸である(六一-七七頁)。第四章に「ドイツにおける行刑の現状と問題」(二一〇ー一五五頁)という項目を設け、従来、あちこちでなされていた説明を一カ所にまとめて叙述した事も、利用者には便利である。さらに、第一部に第五章「行刑の一般原則」(一五六ー二二二頁)を加え、前著の第二部の冒頭に置かれた章を移しているのも、説明としては分かりやすい。前著では、第二部は「行刑の法」となっていた。その冒頭の第五章が新版では、第一部の第五章となり、前著に散在していた論点を整理しここにまとめた。第二部「行刑の法的形成」の冒頭に、第六章「行刑の目標と形成の諸原則」(二三〇1二五二頁)が置かれ、前著の第一部にあった第四章「行刑の目標と目標の葛藤」がそこに移されている。第七章「行刑における特別な権利と義務」(二五三-三四六頁)は、前著の第六章を敷延した内容となっている。特に、最近問題となっている「行刑におけるデータ保護」(三三六-三三七頁)を小項目として別建てにし、詳しい叙述がなされている。第三部「行刑のシステムと機構」は、前著では、第三部「行刑のシステムと機構」、第四部「プロセスとしての行刑」とに分けて説明されていたが、新著では、これを一本化した。このように構成することで、前著でかなり詳しく説明されていた「治療的な刑の執行」の部分がかなり簡略化されている。この点において、最近のドイツにおける刑事政策の変化、特に「処遇行刑」の情熱が冷め、過剰収容による重圧と「社会復帰思想への懐疑」が処遇に関する叙述を抑制させたのであろう。それと対照的に、 行刑に関する憲法裁判所と国際人権裁判所の判例とを意識せねばならない状況が、ドイツの刑事法の研究者に求められているのであろうが 、行刑と人権、行刑に関連する手続法の問題点に関する記述が詳しくなっている(一九二-一九六頁、三六一-三八八頁)。他方、過剰収容という現実の圧力と「小さな政府」の要請への対応に直面し、「行刑の私企業化」(一九六ー二〇三頁)の問題が避けて通れない。本書にその問題についての態度が示されていることに注音心すべきである。 私の関心に関連して述べるならば、前著と比べ、釈放後の「更生保護」に関連する記述がかなり圧縮されたのは、いささか残念であった。 ドイツの刑事政策は、一九九八年の「危険な性犯罪者対策法」によって、これまでの動きの一部が軌道修正されたと言えよう。この点についての叙述を検討したい。良く知られているように、カイザーもシェッヒも、一九六九年に149法学研究75巻12号(2002:12)刑法典に導入された「社会治療処分(独刑法旧六五条)」の刑事政策的意義を評価し、その実現に努力していた。特に、マックス・プランク研究所は、ベルリンのテーゲル司法執行施設での実験プロジェクトを初め、社会治療施設の充実と強化に協力していた。「社会治療処分」は、財政上の理由等により、一九八四年の「行刑法一部改正法」により、改善・保安処分としては廃止され、刑の執行方法として、行刑法九条に規定され、さらに、一九九八年の改正で、危険な性犯罪行為者に対する特別な処遇方法として位置づけられた。一九八四年の改正に際して、「社会治療」の重要性を説いていたのは、この二人であった。本書の四一四頁以下の「社会治療施設」は、その現状を示し、今なお、必要とされる収容定数の四分の一に過ぎないことを指摘し、社会復帰の必要性があり、その可能性のある受刑者に対し、特別な治療方法と社会的援助、そして釈放後に専門的な保護をするのに十分な態勢を整える必要性を強調している。要するに、社会治療に適した被収容者を、その処遇に適した施設に収容し、社会復帰後の社会生活へとスムーズに戻れるよう、社会適応性を回復すべく訓練し、社会内での適切な受け皿が用意されなければならないのである。ところで、「社会治療」と一口に言っても、その内容は多様である。行刑法に定義がある訳ではない。施設毎に、社会治療の形式も内容も異なっている。だが、被収容者の適性に応じて社会復帰プログラムを設定するには、具体的な処遇方法が施設毎に異なっているほうが相応しいとの指摘は重要である。カイザーは、最近、次々に公刊されている「社会治療施設」の被収容者に関する実証研究の成果に基づき、収容期間、個別的な処遇方法の有効性に関して説得的なコメントを付している。「社会治療」に関する情報は、研究者・実務家の最新の研究業績をつぶさに検討し、具体的な提案に即した判断をする必要がある。一昔前の情報ではなく、現在の問題提起に即した判断が必要である。ドイツの刑事政策研究の分野での第一人者を目指す者には、クラウス・ラウベンタールの「行刑 三版」(二〇〇二年)、ベルントーディーター・マイヤーの「刑事制裁」(二〇〇一年)、フランツ・シュトレングの「刑事制裁 二版」(二〇〇二年)で扱われている関連箇所を慎重に検討する努力が不可欠である。五 私は、アルトゥール・カウフマンの紹介で、ハンス・ゲッピンガーと知り合った。同氏は、二度来日し、日本との学術交流に努力された。一九六九年に、その研究所を訪問した際に、カイザーと知り合い、一九七三年にシェッヒ150と知り合った。既に紹介したテユービンゲン大学の犯罪学研究所で助手を勤め、研究者となった殆どのスタッフは、その後の訪問で出会った人々であった。中谷理子名誉教授も、医事法の研究のため、ゲッピンガーを訪ね、その研究所に滞在されたとき、同じように多くのスタッフと人的交流を持たれた。慶慮義塾大学法学部と因縁浅からぬ二人の研究者の努力で、犯罪学・刑事政策学の研究と教育に多大の寄与を果たすと期待される立派な著作が装いも新たに登場したことを祝福したい。 宮澤 浩一紹介と批評151
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〔最高裁民訴事例研究378〕 境界確定の訴の当事者が相隣地の所有者であることが争のない場合において事実上相隣地の所有者でない者を当事者としてなされた判決の適否(最高裁昭和31年2月7日第三小法廷判決)
〔最高裁民訴事例研究三七八〕判例研究昭和三一1(最高裁民集一〇巻二号三八頁)境界確定の訴の当事者が相隣地の所有者であることが争のない場合において事実上相隣地の所有者でない者を当事者としてなされた判決の適否土地境界確定請求事件(最高裁昭和三一年二月七日第三小法廷判決)〔事 実〕 X(原告、控訴人、上告人)等は、X等共有の山林甲地と相隣関係にある山林乙地との境界を争い、山林乙地を共有するY(被告、被控訴人、被上告人)等を相手どって境界確定訴訟を提起した。第一審はY等の主張する線を両地の境界線として確定し、X等は控訴したが、原審も第一審を正当としてX等の控訴を棄却した。この間、X等とY等がそれぞれ甲地と乙地の所有者であることについて争いはなかったが、実際には、原審口頭弁論終結前に、Y等は乙地を訴外Aに譲渡して所有権移転登記を完了していたようである。原審判決後これを知ったX等は上告し、上告理由の一つとして、「この (1)場合原判決に覇束さるる当事者が欠けることになる」と主張した。〔判 旨〕 「所論は、X等は、Y等をXの所有山林と相隣関係にある山林乙地の所有者として本件境界確定の訴えを提起したものであるところ、その所有者であったY等は右山林を昭和二七年九月二〇日訴外Aに譲渡し、右訴外人は原審における口頭弁論終結前である昭和二七年一〇月三一日その所有権移転登記手続を完了したという事実を前提として、X等とY等とは相隣地の所有者の関係を有せず従って原判決には境界確定訴訟の要件の欠訣を看過した違法があると主張するものと認められるが、所論のような事実は、X等が原審において少しも主張しなかったところであるのみならず、前記山林がY等の所有に属しかつXの所有山林と相隣関係にあることは、原審の口頭弁論終結に至るまで、当事者問に争いがなかったところである。そしてかかる場合裁判所が土地境界確定訴訟における所論の要件に欠けるところなしとして審理判断すること135法学研究75巻12号(2002:12)はなんら違法ではない。全員一致の意見)従って所論は理由がない。し(裁判官〔評 釈〕 結論において判旨に賛成する。一 本件は、境界確定訴訟の係属中に相隣地の所有者に変更があった場合に、この事実を看過して、相隣地の所有者でない者を当事者として下された判決の違法性が問題にな (2)った事案である。本判決は、この問題に対して、当事者が相隣地の所有者であることについて争いがない以上、たとえ被告が口頭弁論終結前にその所有地を他に譲渡し移転登記を了したとしても、裁判所が当事者についての要件に欠けるところなしとして判決したことは違法ではないとしたものである。 この結論を導ぐ理論的前提は判決理由中においては明らかにされていないが、調査官解説によれば、本判決は、境界確定訴訟の当事者適格を基礎づける事実について弁論主 (3)義を適用したものと解されている。本判決を引用する下級審裁判例や先行評釈等も、本判決について同様の理解を示 (4) (5)しており、この点に本判決の意義を認めている。 また、本判決は、境界確定訴訟においては相隣地所有者に限って当事者適格が認められる、という命題を当然の前 (6)提としたものと解されている。この命題に関しては、すで (7)に大審院の先例があり、また学説上も異論がないところで (8)あったが、本判決は最高裁として初めてこの命題を肯定し へ9)た判決であり、この点にもう一つの意義が認められる。 本判決に対しては、概して否定的な評価がなされている。批判が集中するのは、境界確定訴訟の当事者適格を基礎づける事実について弁論主義を適用した点であり、当事者適格が職権調査事項であること、あるいは境界確定訴訟が実 (10)質的には非訟事件であることを理由に反対する見解が多い。これに対しては、少数ではあるが、境界確定訴訟を通常の (H)民事訴訟と同様に考えて賛成する見解もある。このように、本判決を検討するにあたっては、境界確定訴訟の法的性質とも関連して問題となるが、以下ではさしあたり、判例・多数説の立場である形式的形成訴訟に従って考察すること (12)にしたい。二 まず、境界確定訴訟の当事者適格を基礎づける事実について弁論主義を適用することの是非について考察する。当事者適格は訴訟要件の一つであり職権調査事項であるから、職権調査事項を基礎づける事実についてどのような審理原則が適用されるかが問題となる。136判 例 研 究 当時の学説の状況を振り返ると、ドイツ型の職権調査の (13)影響から、職権調査事項とは、自白に拘束力が認められない点で職権探知と異ならないが、職権による証拠調べまでは認められない点で職権探知と異なるとの理解が伝統的で (14)あった。そのため、職権調査事項全般について自白の拘束 (15)力は認められないとの理解が定着していたようである。これに対して、現在の通説の基礎となる見解、すなわち、訴訟要件の公益的意義の軽重に照らして妥当な審理原則を考 (16)察することを主張する見解も少数ながら主張されていたが、当事者適格を基礎づける事実についてどのような審理原則 (17)が適用されるかは判然としていない状況にあった。 当時の伝統的な理解に則して考えれば、本判決が当事者適格を基礎づける事実に自白の拘束力を認めていることに (18)対しては疑問が呈せられるであろう。しかし、このような訴訟要件の画一的把握には問題がある。多種多様な訴訟要件が、訴訟制度全体の中でどういった制度的役割を果たし、いかなる存在意義を有するかは、訴訟要件ごとに区別して考えざるをえず、したがってまた、訴訟要件をめぐる具体的解釈問題も、原則として訴訟要件ごとに個別に解決され (19)ざるをえないと考えられるからである。 では、当事者適格を基礎づける事実についてはいかなる審理原則が適用されるべきであろうか。この点について議論が進展するのは本判決よりも後の時期になるが、現在の状況は次のようなものである。通説は、すでに述べたように、訴訟要件の公益的意義の軽重に照らして職権探知主義 (20)と弁論主義とを選択する見解である。この立場は、当事者適格を基礎づける事実については、一般論として弁論主義が適用されるとするが、判決の効力が第三者にも及ぶ場合 (盟)には職権探知主義が適用されるとする。これに対する近年の少数説は、職権審査型と呼ばれる審理原則を導入することを主張するものであり、ドイツで職権審査型が適用されている職権調査事項についてわが国でもこれを適用するこ (22)とを提唱する見解である。職権審査型とは、弁論主義と職権探知主義とのいわば折衷型で、当事者の提出した事実・証拠に限るとする点は弁論主義と共通するが、当事者間に自白・擬制自白が成立しても、裁判所はこれに拘束されず証拠調べができる点では職権探知に似るとされる。この立場は、当事者適格を基礎づける事実については、職権審査型が適用されるとするので、自白の拘束力は排除されるこ (23)とになる。 当事者適格について考えてみると、近年の少数説に従った場合、自白の拘束力は一律に排除されることになる。し137法学研究75巻12号(2002:12)かし、同じく当事者適格と言っても、事件類型によって、①本案判決を手続的・内容的に正当なものとして可能ならしめるという積極的機能を有している場合と、②本案判決ができないではないが制度設営者および被告にとって無益な訴訟を排除すべき要請から裁判権の行使を制限するとい (24)う消極的機能のみを有している場合とがあることから、これらを区別する通説の理解が妥当である。具体的には、人事訴訟、社団関係訴訟、行政訴訟のように判決効が第三者に及ぶ事件類型においては、判決効の拡張を受ける者に対して判決の正当性を保証する必要から、当事者適格について職権探知主義が適用されるべきである。他方、対立当事者間における相対的解決が妥当する事件類型においては、当事者適格について弁論主義が適用されると解される。 境界確定訴訟が職権探知主義の適用される事件類型であるかどうかは、境界確定訴訟の法的性質と関連して問題となる。この点、判例・多数説である形式的形成訴訟説に従 (25)った場合、確定の対象は公的存在たる筆界であることから、筆界を確定した判決の効力は登記官も含めて第三者にも及 (26)ぶと理解される。したがって、境界確定訴訟においては、当事者適格を基礎づける事実について職権探知主義が適用 (27)されるべきであり、自白の拘束力は排除されると解される。三 ところで、本判決では当然の前提とされているが、境界確定訴訟においては相隣地所有者に限って当事者適格が (28)認められる、という命題はどのような理由に基づくのであろうか。所有権界確定訴訟説に立てば、紛争の対象たる権利関係の帰属主体である相隣地所有者に限って当事者適格が認められるとすることは理解できる。けれども、形式的形成訴訟説に立った場合、確定の対象は公的存在たる筆界であるとされることから、このような命題に論理的整合性 (29)があるかが間題となる。この問題に対して、形式的形成訴訟説の側からは、「境界に接する両隣地の所有者が当該境界の確定につき最も密接にして強い利害関係を有する者と推定されるから、右所有者に当事者適格を与えるのが適切 (30)なのである」との説明がなされている。 この点、境界確定訴訟は、筆界の確定によって所有権界の範囲も特定されるという事情を背景として提起されるの (31)が通常であり、土地所有者の私的利益にも必然的に影響するものであるから、境界確定訴訟から私的紛争の解決とい (32)う側面を完全に排除することはできない。その意味で、形式的形成訴訟説の側からなされている説明は支持できる。また、判決効の拡張を受ける者に対して判決の正当性を保証する必要から、当事者適格は当該境界について最も真剣138判 例 研 究に争うことができる者に限定するのが相当である。したがって、境界確定訴訟においては相隣地所有者に限って当事者適格が認められるとの命題は、形式的形成訴訟説に従っ (33)た場合でも妥当なものと考えられる。四 これまでの考察をもとに本判決を検討する。境界確定訴訟の法的性質に関して本判決は言及していないが、大審 (34)院の先例に照らして、形式的形成訴訟説に従っていると見るのが相当である。したがって、原則論としては、境界確定訴訟の当事者適格を基礎づける事実については職権探知主義が適用され、自白の拘束力は排除される。その結果、事実審の口頭弁論終結前に当事者適格を喪失していたことが判明すれば、上告審は、原判決に当事者適格欠訣を看過 (35)した違法があったとして破棄差戻しなければならない。 本件についてみるに、X等の主張するところによれば、Y等は原審の口頭弁論終結前にその所有する山林乙地を訴外Aに譲渡し移転登記手続も完了していたというのであるから、上告審は、原判決の違法性を認めてこれを破棄しなければならないのが原則である。しかしながら、本件では、相隣地所有者たるX等とY等との問で境界確定訴訟が開始され原審途中まで当事者適格に問題はなかった点、X等はY等の所有権譲渡後もY等を所有者と信じて真剣に争っており、他方、Y等もその後少なくとも控訴棄却を得るのに十分な訴訟追行をしていたと認められる点に特殊性が認められる。つまり、実質的にみて、当該境界について最も真剣に争うことができる者によって訴訟追行されていたと評価できる事案であった。このような本件の特殊性を考慮すると、X等にさらに争う機会を認めることは公平に反するものであり、例外的にX等の主張を排して原判決を維持す (36)るのが公平に合致する。本判決も、このような事案の特殊性を考慮してX等の主張を排することに主眼を置いた救済判決であると評価できる。先に述べたように、本判決については、境界確定訴訟の当事者適格を基礎づける事実について弁論主義を適用したものと解されているが、一般論としてそのような立場を示したものではないと理解すべきであろう。 (37) 以上より、結論において判旨に賛成する。(1) 本判決の調査官解説によると、「被告等は当事者適格を有しなかったものであり、原判決は境界確定の訴訟の要件を看過してなされた違法あるを免れない」との具体的な主張がなされたようである。大場茂行・最判解民昭和三一年度六頁。139法学研究75巻12号(2002:12)(2) 本判決の調査官解説として、大場・前掲注(1)六頁、 同・判タ五七巻三五号三五頁(一九五六年)。先行評釈等 で本判決に賛成するものとして、新堂幸司『判例民事手続 法』三七六頁(弘文堂・一九九四年)〔初出・法協七四巻 二号七九頁(一九五七年)〕。反対または疑問を呈するもの として、山木戸克己『民事訴訟法判例研究』六四頁(有斐 閣・一九九六年)〔初出・民商三四巻五号六二頁(一九五 七年)、小室直人「境界確定訴訟の再検討」中村宗雄先生古稀祝賀『民事訴訟の法理』一四六頁(敬文堂・一九六五年)、遠藤功「難解な判決」法教五号二二七頁(一九七四年)、村松俊夫『境界確定の訴〔増補版〕』七九頁、一四七頁(有斐閣・一九七七年)、最高裁判所事務総局編『境界確定訴訟に関する執務資料』五九八頁、六﹈五頁〔倉田卓 次〕、六六九頁〔伊藤榮子〕(法曹会・一九八O年)、松本博之『民事自白法』二二七頁(弘文堂・一九九四年)。(3) 大場・前掲注(1)七頁において、岩松三郎『民事裁判 の研究』二二六頁(註三五)(弘文堂・﹈九六一年)〔初出・曹時五巻三号二二頁(一九五三年)〕の理論が引用さ れている。(4) 三戸地判昭和四八年一〇月四日判タ三〇三号一九二頁。新堂・前掲注(2)三八O頁、小室・前掲注(2)﹈四六頁、最高裁事務総局編・前掲注(2)五九八頁、六一五頁〔倉 田〕、六六九頁〔伊藤〕、奈良次郎「境界確定訴訟に関する訴えについての若干の考察(中)」判評三三九号七頁(一九八七年)、小山昇『民事訴訟法〔五訂版〕』二六八頁(青林書院・一九八九年)、松本・前掲注(2)一三七頁。(5) 当事者適格を基礎づける事実について弁論主義が適用 されるとする判決としては、大判大正九年四月二四日民録 二六輯六八七頁が挙げられる。この判決は当事者適格を基礎づける事実についても自白の撤回要件があてはまる旨を判示していることから、当該事実について自白の拘束力が認められることを肯定した判決と解されている。竹下守夫 「裁判上の自白」民商四四巻三号一〇八頁(一九六一年)、松本・前掲注(2)二一三頁、新堂幸司H福永有利編『注釈民事訴訟法(5)』四二頁〔福永有利〕(有斐閣・﹈九九八年)。(6) 最高裁事務総局編・前掲注(2)六六九頁〔伊藤〕、下村眞美「境界確定訴訟の当事者適格について」中野貞一郎先生古稀祝賀『判例民事訴訟法の理論(上)』二五五頁 (有斐閣・一九九五年)。(7)大判大正七年九月二八日民録二四輯一八二九頁、大判昭和一五年一〇月二二日民集一九巻二二号一九九五頁。た だし、これらは権利保護要件を欠くとして請求棄却をすべ きであるとする。(8)兼子一『判例民事訴訟法』八O頁(弘文堂・一九五〇年)、大場・前掲注(2)三五頁、山木戸・前掲注(2)六五140判例研究 頁、新堂・前掲注(2)三七八頁参照。(9) 本判決は、裁判所法施行後最初に最高裁で扱われた境 界確定事件とされる。新堂・前掲注(2)三七七頁。(10) 山木戸・前掲注(2)六六頁、遠藤・前掲注(2)二二八頁、村松・前掲注(2)七九頁、一四七頁、最高裁事務総局編・前掲注(2)五九八頁、六一五頁〔倉田〕。(11) 新堂・前掲注(2)三七九頁。(12) 形式的形成訴訟説の先例として、大連判大正一二年六 月二日民集二巻三四五頁。最高裁もこの立場を踏襲してい る(最判昭和四三年二月二二日民集二二巻二号二七〇頁)。形式的形成訴訟説(筆界確定説)の代表的な文献として、村松・前掲注(2)五六頁以下、奥村正策「土地境界確定訴 訟の諸問題」鈴木忠一博三ヶ月章監修『実務民事訴訟講座 4』一七九頁以下(日本評論社・一九六九年)、畑郁夫 「境界確定訴訟」新堂幸司編『特別講義民事訴訟法』二〇 四頁以下(有斐閣・一九八八年)、奈良次郎「境界紛争に 関する訴えについての若干の考察(上)(中)(下)」判評 三三八号二頁以下、三三九号二頁以下、三四〇号二頁以下 (一九八七年)、石川明「境界確定訴訟をめぐる若干の問題点」判タ九二五号四四頁以下(一九九七年)、新堂“福永編・前掲注(5と三頁以下〔中野貞↓郎〕。所有権界確定訴訟説の代表的な文献として、花田政道「土地境界確定訴訟の機能」西村宏↓H香川達夫編『不動産法大系W』二六頁以下(青林書院新社∴九七〇年)、宮川種一郎「境界確定訴訟の再評価」判タニ七〇号四九頁以下(一九七二年)、飯塚重男「境界確定訴訟」三ヶ月章ほか編『新版・民事訴訟法演習1』一二〇頁以下(有斐閣・一九八三年)、林伸太郎「境界確定訴訟に関する一考察(一)(二)(三・完)」法学四八巻三号六五頁以下、四八巻四号七七頁以下 (一九八四年)、四九巻二号二二九頁以下(﹈九八五年)、玉城勲「境界確定訴訟について」民訴三四号一七四頁以下 (一九八八年)、新堂幸司『新民事訴訟法〔第二版〕』一八 二頁(弘文堂・二〇〇一年)。(13)高島義郎「訴訟要件の類型化と審理方法」新堂幸司編『講座民事訴訟②』二三頁(弘文堂・一九八四年)。同↓ 一一頁によれば、ドイツ型の職権調査(℃三盆昌鵬 く曾>B$≦彊窪)とは、「当事者は合意や責間権の放棄、自白などによって裁判所の職権行使を排除することはできな い…(中略)…点では職権探知主義と共通するが、他面、判断資料の提出責任は当事者にあり、裁判所は訴訟要件の存在(または訴訟障害の不存在)に疑いがあれば、当事者 にその旨を指摘しその主張立証を促しうるが、みずから職権で探知することができない点では弁論主義と共通する」 とされる。(14) 仁井田益太郎『民事訴訟法大綱』三二頁(有斐閣・一九一八年)、山田正三『日本民事訴訟法論第二巻』三一〇141法学研究75巻12号(2002=12)頁(弘文堂・一九三四年)、菊井維大u村松俊夫『民事訴訟法1』四一五頁(日本評論新社・一九五七年)。職権調査主義と職権探知主義は同じ概念であると解するものに、加藤正治『新訂民事訴訟法要論』二〇二頁(有斐閣・一九 四六年)。(15) 岩松・前掲注(3)二一八頁参照。(16) 兼子一『民事訴訟法概論』二二六頁(岩波書店・一九 三八年)、河本喜與之『全訂民事訴訟法提要』二七〇頁 (南郊社・一九四二年)、岩松・前掲注(3)二二六頁(註三 五)。(17) 兼子・前掲注(16)二二六頁、河本・前掲注(16)二七〇頁は任意管轄、確認の利益について、岩松・前掲注(3)一 三六頁(註三五)は任意管轄、確認の利益、当事者適格に ついて、これらを基礎づける事実について弁論主義が適用 されることを指摘する。本判決と同時期の、菊井維大『民事訴訟法(上)』一六三頁(弘文堂・一九五八年)、岩松三郎u兼子一『法律実務講座民事訴訟編第二巻』五六頁(有斐閣・一九五八年)も任意管轄、確認の利益を挙げるが、 当事者適格については明らかではない。(18) 小室・前掲注(2と四六頁、小川正澄「土地境界確定事件」判タニ〇一号一六六頁(一九六七年)参照。(19) 竹下守夫「訴訟要件をめぐる二、三の問題」司研六五 号七頁(一九八O年)。(20)岩松U兼子・前掲注(17)五六頁、新堂幸司「裁判所の調査義務と釈明義務」中田淳一H三ヶ月章編『民事訴訟法演習1』一一三頁(有斐閣・一九六三年)、五十部豊久 「職権調査、職権探知、弁論主義の異同」法教八号一五三頁(一九七五年)、染野義信H森勇「職権調査」小山昇ほ か編『演習民事訴訟法』四〇六頁(青林書院・一九八七年)、小山・前掲注(4)二六八頁、斎藤秀夫ほか編『〔第2 版〕注解民事訴訟法(6)』一〇一頁〔斎藤秀夫ー加茂紀久男〕(第一法規・一九九三年)、中野貞一郎ほか編『新民事訴訟法講義』三五〇頁〔松本博之〕(有斐閣・一九九八年)、上田徹一郎『民事訴訟法〔第三版〕』一九七頁、一三 四頁(法学書院・二〇〇一年)等。通説は、弁論主義が適 用される訴訟要件として、抗弁事項とされる訴訟要件、任意管轄、訴えの利益、当事者適格を挙げる。(21) 新堂H福永編・前掲注(5)四二頁〔福永〕、中野ほか 編・前掲注(20)三五〇頁〔松本〕、上田・前掲注(20と九 七頁。(22) 鈴木正裕「訴訟要件の審査」井上治典ほか『演習民事 訴訟法』二六頁(有斐閣・一九八二年)、高島・前掲注 (13と一五頁。近年の少数説は、職権審査型が適用される 訴訟要件として、訴えの利益、当事者適格、専属管轄、当 事者能力、訴訟能力・代理権、訴訟中の訴え提起の要件、 二重起訴でないことを挙げる。弁論主義が適用される訴訟142判例研究要件としては、抗弁事項とされる訴訟要件、任意管轄が挙 げられている。(23) 松本・前掲注(2)一二六頁は、裁判所は不適法な訴え を排除することには固有の利益があるとの観点から、職権審査説に修正を加える。これによれば、訴訟要件の存在を基礎づける事実については当事者の主張を待つが、訴訟要件の存在を否定しうる事実については、当事者が主張して いない場合にも裁判所が証拠調べ等からこれを知るときに は、当事者に指摘して主張・立証を促すべきであるとされ る。そして、前者の事実については自白の成立を認めるが、後者の事実については自白の成立を認めない。(24) 訴訟要件の機能につき、竹下・前掲注(19)七頁以下参 照。(25) 権利関係公示のための単位にとどまらず、課税のため の単位でもあり市町村等の境界ともなりうる公的存在であ る。新堂H福永編・前掲注(12)一六頁〔中野〕参照。(26) 下級審裁判例として、高知地判昭和五一年一二月六日訟月二二巻一二号二七六三頁、大阪地判昭和五九年一月二 七日下民集三四巻五〜八号八六〇頁、東京高判昭和五九年 八月八日訟旦一二巻五号九七九頁。また、最高裁事務総局編・前掲注(2)六四二頁〔倉田〕、六九〇頁〔伊藤〕、高橋宏志『重点講義民事訴訟法〔新版〕』七六頁(有斐閣・二〇〇〇年)。(27) なお、所有権界確定訴訟説に従った場合は、確定の対象は所有権界という私的利益であることから、通常の確認訴訟と同様、対立当事者間における相対的解決が原則とし て妥当すると考えられる。したがって、境界確定訴訟にお いても、当事者適格を基礎づける事実について弁論主義が適用され、自白の拘束力も認められると解することになる であろう。新堂・前掲注(2)三七九頁参照。(28)近年の最高裁判例の状況については、坂原正夫「判批」法研七三巻七号九六頁(二〇〇〇年)参照。また、下級審裁判例をも含めた詳細な分析として、松山恒昭「境界確定の訴えの当事者適格」判タ五一二号四四頁以下(一九 八四年)、加藤新太郎「境界確定訴訟の当事者適格」塩崎勤編『裁判実務大系第11巻』四六一頁以下(青林書院・一九八七年)、下村・前掲注(6)二四四頁以下参照。なお、「相隣地所有者」とは、具体的な土地所有者と解する立場 と登記簿上の登記人と解する立場とがあるが、前者が判例 (最判昭和五九年二月一六日判時一﹈〇九号九〇頁)・多数説である。(29)当事者は裁判所による境界確定作業を促すだけの存在 に過ぎないとも言いうる。下村・前掲注(6)二六四頁参照。(30) 奥村・前掲注(12)一九〇頁。(31) このような事情は、筆界と所有権界が一致している場合に提起される境界確定訴訟において妥当するだけでなく、143法学研究75巻12号(2002:12)隣地所有者が境界線接続部分を時効取得したことによって筆界と所有権界が一致していない場合に提起される境界確定訴訟においても、筆界を確定することによって時効取得 した所有権の範囲が特定される関係にあれば、同様に妥当する。具体例につき、石川明「境界確定訴訟の当事者適格 に関する最高裁判例覚書」自正五二巻四号二壬二頁(二〇〇一年)参照。(32) 畑郁夫「判批」民商九一巻二号一〇四頁(﹈九八四年)、石川・前掲注(12)五〇頁、新堂”福永編・前掲注 (12と七頁〔中野〕。(33) 土地所有権者以外で当該境界の確定につき最も密接に して強い利害関係を有する者がいる場合には、例外を認め る余地もあるであろう。奥村・前掲注(12)一九一頁、畑・前掲注(32)一〇五頁参照。(34) 大連判大正】二年六月二日民集二巻三四五頁。(35) その後の処理としては、差戻審においてX等の訴訟引受の申立てあるいは訴外Aの訴訟参加の申出の機会を与え ることになる。それでもなおこれらの訴訟承継が行われな い場合は訴えを却下しなければならない。山木戸・前掲注 (2)六七頁。(36) 新堂・前掲注(2)三八一頁参照。(37) 以上、本稿においては判例・多数説である形式的形成訴訟説(筆界確定説)を中心に考察を進めてきたが、最近の法務省の裁判外境界紛争解決制度に関する調査・研究報告(登研六四九号七七頁以下(二〇〇二年)、登情四二巻二号六〇頁以下(二〇〇二年)に掲載)では、境界確定訴訟に代わる法制度として、土地家屋調査士、弁護士、法務局職員などから構成される境界確定委員会(仮称)が境界の確定に係る審理を行った上、行政庁(法務局長・地方法務局長)に対して答申を行い、行政庁が境界確定処分を行うという形態が示されており、この行政型の境界紛争解決制度の創設によって、境界確定訴訟の制度を廃止する意見も提出されている。このような裁判外境界紛争解決制度が立法化されれば、相隣地所有者間の境界をめぐる訴訟は所有権界確定訴訟としてのみ理解できることになるであろう。山本和彦「境界確定訴訟」判タ九八六号一〇二頁(一九九九年)参照。 三木浩一 川嶋隆憲144
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〔商法428〕 社債発行会社が当該社債を受働債権としてする相殺は、償還期限の到来前であるか到来後であるかにかかわらず許されないとされた事例(東京高裁平成13年12月11日判決)
〔商法 四二八〕社債発行会社が当該社債を受働債権としてする相殺は、償還期限の到来前であるか到来後であるかにかかわらず許されないとされた事例判例研究〔判事事項〕 発行会社がする社債に対する相殺、すなわち社債を受働債権とする相殺は、償還期限の到来前であるか到来後であるかにかかわらず、許されない。 社債を対象として発行会社が相殺できる旨を定める約定は、公序に反するものとしてその効力を認めることができない。〔参照条文〕民法九〇条、五〇五条一項、商法二九九条、三〇一条、三〇九条の二、三二七条〔事 実〕 Y(長期信用銀行)は、A(証券会社)との与信取引に際して、以下の内容を含む銀行取引約定書(以下、「本件約定」とする)により約定を締結した。すなわち、「五条①項1号(期限の利益の喪失)Aについて、会社更生手続開始の申立て等があったとき、Yから通知催告等がなくてもYに対する一切の債務について当然に期限の利益を失い、直ちに債務を弁済する」、「七条(差引計算)①期限の到来、期限の利益の喪失、買戻債務の発生、求償債務の発生その121東京高判平成二二年﹈二月一一日平成二二年困第一套三号損害賠償請求控訴事件(L告)金融・商事判例﹈﹈三二号三頁、判例時報﹈七七四号一四五頁第一審一東京地判平成二二年二月二八日平成二一年⑰一四六五八号(金融・商事判例二三二号一一頁、判例時報一七七四号↓五一頁)法学研究75巻12号(2002:12)他の事由によって、Yに対する債務を履行しなければならない場合には、その債務とAの預金その他の債権とを、その債権の期限のいかんにかかわらず、いつでもYは相殺することができる。③前二項によって差引計算をする場合、債権債務の利息、割引料、損害金等の計算については、その期間を計算実行の日までとして、利率、料率はYの定めによるものとし、また外国為替相場についてはYの計算実行時の相場を適用するものとする」とされていた。 Yは、平成六年四月二七日、同年七月二七日および平成八年四月二六日に、金融債(以下、「本件金融債」とする)をそれぞれ発行した。償還方法及び期限は、ア発行日から五年目に償還する、イ発行日から一年経過以降はいつでもその全部又は一部を繰上償還することができる、ウ一部償還は、抽せんによる、エYは、いつでも買入消却することができる、とされていた。本件金融債はいずれも登録債であり、Y自身が登録機関となっていた。 Aは、平成九年一一月三日に会社更生手続開始を申し立てたものの棄却され、その後平成一一年二一月二八日に破産宣告を受け、Xが破産管財人に選任された。 Aは、前記会社更生手続開始の申立て前に、本件金融債を資産として保有していた。一方、Yは、平成九年一二月二日の時点で、Aに対し、前記会社更生手続開始の申立て前の原因に基づき、貸付金元金五億八五五九万00一五円およびその遅延損害金六二八万九〇七六円ならびに保証債務履行請求権金一六三億〇七五一万五五七三円(以上を、以下、「本件貸金債権」とする)を有していた。 Yは、本件約定に基づき、平成九年一二月二日、Aの当時の保全管理人Bに対し、Aに対する本件貸金債権の一部と本件金融債の償還債務合計七億〇四九八万九〇三九円とを、同日を計算実行の日として、対当額にて相殺する旨の意思表示をした(以下、「本件相殺」とする)。 Xは、Yが相殺することができないにもかかわらず本件相殺の意思表示をなし、これにより、Aは本件金融債を換価することが事実上できなくなったことで損害を被ったとして、不法行為に基づき、損害賠償金七億〇四九八万九〇三九円およびその遅延損害金の支払を求めて提訴した。しかし、第一審は、Xの訴えを棄却した。そこで、Xは、訴えを変更し、本件金融債の元利金償還請求権に基づく元金七億円、償還日までの利息四六三六万四三八三円および各元金に対する償還日後の遅延損害金の請求を主位的請求として追加し、不法行為に基づく従前の請求を予備的請求として、控訴した。122判 例 研 究〔判 旨〕 「当裁判所は、発行会社がする社債に対する相殺、すなわち社債を受働債権とする相殺は、償還期限の到来前であるか到来後であるかにかかわらず、許されないものと考える。その理由は、次のとおりである。 ω 社債は、株式会社が、債券発行の方法により、巨額かつ長期の金員を公衆から借り入れるものである。社債の借入総額は同一金額の個々の社債に分割され、各社債権者の権利の内容は同一のものとなる。 社債は、消費貸借の一形態ではあるが、消費貸借としての一般的性質をそのまま維持するものではなく、消費貸借が極端に定型化され、大量性、集団性、公衆性といった色彩を帯びたものである。そして、社債がこのような性格を有することは、各社債権者の権利が定型化され個性を喪失し、その金額以外の点においては一つのものが他のものと全く異なるところのないことを意味する(田中耕太郎・商法研究第一巻「社債の法律的特異性」(昭和四年)六〇一、六五七、六九四〜頁ほか社債に関する多数の文献参照)。 社債について相殺が可能であるとすると、相殺の抗弁が付着した社債は、他の社債と異なる個性を有するものとなり、それは上記の社債の性格と相容れないものとなる。 の 商法は、総額引受による場合を除き、社債の発行に社債申込証の作成を必要としている(商法三〇一条)。このことは、それにより社債の内容を各社債について同一ならしめることを意味している(総額引受の場合及び長期信用銀行が債券を発行する場合には社債申込証の作成を要しないが、これらの場合にも社債の内容は社債契約によって定められ、各社債について同﹈となる。)。 発行会社と社債権者との間の権利関係は、社債申込証または社債契約の内容によって決せられるのであり、それ以外の個別の法律関係の影響を受けないことが予定されている。 社債について相殺が可能であるとすると、社債が社債権者毎に異なる個別の法律関係の影響を受けることになり、発行会社と社債権者との間の権利関係が社債申込証または社債契約の内容によってのみ決せられるという法の趣旨に反することとなる。 ⑭ 社債の大量性、集団性、公衆性は、社債が市場において売買され、それによって投資家が容易に資金を回収できることを要求する。それ故、社債は、市場における取引に適したものでなければならない。 市場における社債の取引を可能にするためには、ある社123法学研究75巻12号(2002:12)債が他の社債と全く異なるところがないことが必要である。何故ならば、債権の内容に個性ないし個別性を与え、債権の価値に影響を及ぽす事由に多様性を認めるならば、同一の社債について同一の時点において単一の価格が成立することがなくなり、社債の価値を集団的に判定する市場を構築することができないからである。すなわち、そのような個性ないし個別性が与えられた場合、一つの社債は他の社債と、その内容が異なり、経済的価値も異なることとなる。そして、それは取引所における集団的な競争売買の対象となる適格性を欠き、市場価値を付けることができなくなる。そのような市場価値のないものは、一般公衆の投資対象として不適格であり、社債の公衆性に反するのである。 社債が、一つのものが他のものと全く異なるところがない債権であるためには、債権の発生要件は社債毎に異なるものであってはならない。同様に、社債の定められた償還や時効以外の債権の消滅原因を認めるわけにはいかない。何故ならば、定められた償還以外の債権の消滅原因、例えば特定の社債について代物弁済が認められれば、社債の価値は、その消滅原因の内容次第で、一つのものが他のものと全く同一であるとはいえなくなるからである。 このことは、発行会社からする相殺についても当てはまる。ある社債について反対債権による相殺の可能性があり、他の債権にそれがなければ、それらの社債の価値は異なることになる。ある社債について相殺が可能であれば、社債の譲渡があった場合にも譲受人は相殺の対抗を受けることがあり得る。それでは、その社債と他の社債とが全く異なるところがないとはいえず、価格形成が困難になる。それ故、相殺は認められないのである。 これは、単に取引の安全の問題ではない。社債を社債として成り立たせること、すなわち一般公衆の投資対象たらしめる公衆性、すなわち取引市場による市場価値を成り立たせ、投資の尺度を提供し、換金の可能性を保証することがここでの問題なのである。したがって、善意取得や抗弁の切断の法制度によって、一定の条件の下に社債の流通が保護されているからといって、社債について相殺を認める訳にはいかないのである。 以上のとおり、社債について相殺を認めると、一つの社債が他の社債と異なるものとなる可能性が生じる。そして、その結果、社債の市場取引のための不可欠の条件を満たさないことになる。それ故に社債については相殺が認められないのである。 ゆ 社債の大量性、集団性、公衆性は、社債権者の団体124判例研究的保護のための制度を必要ならしめる。 分割された個々の社債の金額は、社債の総額に比して非常に小さなものとなる。このことは個々の社債権者が発行会社に対して権利を行使することを困難ならしめ、社債権者の団体的保護の必要性を生ぜしめる。 社債権者の権利が、一つのものが他のものと金額以外は全く異ならないという利害共通の存在であることは、社債権者の団体的保護の必要不可欠の条件でもある。利害が共通であることにより社債権者は一個の利益団体となり、団体的保護を可能ならしめるのである。 商法は、社債権者の団体的保護のための制度として、社債管理会社及び社債権者集会の制度を設けている。そして、これらの制度は、以下のとおり、﹈つの社債が他の社債とその内容において異なるものでないことを前提としている。 まず、商法は、社債権者集会の制度において、各社債権者が社債の最低額毎に一個の議決権を有することを前提としており、各社債の金額は均一であるか、または最低額を持って﹇ママ﹈整除できるものであることを要すると定めている(商法二九九条)。社債について相殺を認めると、自働債権が社債の額を下回る場合に、この規定に反する社債が生じる。その社債については議決権を認めることが困難になり、上記の前提に反する結果をもたらすことになる。 また、社債管理会社は、社債権者集会の決議により、総社債について支払の猶予、不履行によって生じた責任の免除または和解をすることができると定めている(商法三〇九条の二)。そして、社債権者集会の決議は総社債権者に対して効力を有するのである(商法三二七条二項)。このことは、すべての社債を同様に扱うことを意味している。相殺を認めることになると、相殺の対象となる社債は他の社債と権利の内容が異なることになり、すべての社債を同様に扱うという社債権者の団体的保護の前提に反することになる。 ㈲ また、社債については、発行会社がこれを相殺で消滅させることや、相殺可能を前提に取引するなどの、相殺の担保的役割を期待できるような一般的状況は存在しない。 社債については、証券が発行されるのが原則形態である。そして発行される証券は、自由に処分できる。証券が発行されている場合には、発行会社にとって社債権者が誰であるかを把握することは困難である。したがって、社債権者が誰であるかを発行会社が把握してする社債に対する相殺は、事実上不可能である。すなわち、そもそも社債に対する相殺を期待できる状態にない。登録債の場合であって、125法学研究75巻12号(2002=12)発行会社が登録機関となっている場合には、事実上社債権者の確知が可能となるが、本来その登録は発行会社が社債権者を確知するためになされるものではない。登録がされた結果たまたま社債権者が誰であるか知り得ることがあるとしても、そのことから発行会社が相殺の期待を有しているということはできない。 さらに、社債について相殺を認めると、登録債については権利者の確定が事実上可能であり、相殺の可能性が生じるため、登録債とそれ以外の社債が価値の異なる二つの商品になってしまう。これは、前述の社債の市場性を失わせるものであり、社債の公衆性に反するものである。 ㈲ 〈略〉 ω そして、償還以外の消滅原因が否定されることは、償還期限後においても変わりはない。償還期限後でも、社債の公衆性や団体的保護の必要性が失われるとはいえないからである。償還期限後の相殺ができるとすると、償還期限が近づくにつれて、相殺の可能性が高まり、そのことが価格に影響することになり不都合である。 ⑧ 〈略〉 ⑨ 以上の諸点を総合考慮して判断すると、社債については、その性質上発行会社からの相殺が許されないものと解するのが相当である。」 「社債を対象とする相殺約定の効力について 本件相殺条項(すなわち本件約定の七条①項)で相殺の対象とされる「その他の債権」に、社債の償還債務が含まれるか否かは、明白ではない。 しかし、仮に含まれるとしても、発行会社からする社債の相殺を許すことができないのは、三﹇右引用﹈に述べたとおり、単に取引当事者間の公平を維持するためではなく、公けの制度である社債の制度を維持するために必要であるためである。したがって、社債を対象として発行会社が相殺できる旨を定める約定は、公序に反するものとしてその効力を認めることができない(民法九〇条)。」〔研 究〕 判旨に反対一 本件は、長期信用銀行が自らの発行した社債、いわゆる金融債を受働債権としてなした相殺の可否が争われた事案である。本判決は、社債一般の性質からして、社債を対象とする相殺は許されないとの判断を示した(民法五〇五条一項但書参照)。社債を相殺の対象とすることができないとの判断は、本判決が新たな問題を提起するものである。本判決は、社債の特殊性を前面に押し出して、その可否を126判例研究論じている。近年、金融制度改革や商法改正ともからんで、社債制度について様々な議論が重ねられてきている折、本判決が社債の性質について検討している部分は極めて興味深いものを含んでいると言えよう。また、本事案は、長期信用銀行が発行した金融債の相殺の可否が問題となったものであるが、そうした特殊性を考慮することなく、相殺を否定していることは長期信用銀行実務に影響があろうと推測される。さらに、銀行取引約定書については、銀行と貸付先との間の交渉力の格差という文脈で語られることが多いが、本判決は、社債制度の特質から同約定を公序違反としている点も目を引くところである。 ところで、最高裁判決平成二二年二﹈月一八日(金融法務事情一六四〇号三四頁、金融・商事判例﹈一四〇号三頁)は、長期信用銀行の発行した金融債を受働債権とする相殺に際して、当該金融債を表章する有価証券を占有することの要否が争われた事案において、「有価証券に表章された金銭債権の債務者は、その債権者に対して有する弁済期にある自己の金銭債権を自働債権とし、有価証券に表章された金銭債権を受働債権として相殺をするに当たり、有価証券の占有を取得することを要しない」との判断を示している(同最高裁判決の評釈等として、田邊宏康「有価証券に表章された金銭債権を受働債権とする相殺と有価証券の占有取得の要否」受験新報五二巻七号(六﹈七号)(平成一四年六月)二一頁以下、早川徹「占有していない有価証券に表章された金銭債権を受働債権とする相殺」平成13年度重要判例解説(平成一四年六月)三一頁以下、水元宏典「有価証券に表章された金銭債権を受働債権とする相殺」法学教室二六三号(平成一四年八月)二〇二頁以下、潮見佳男「有価証券に表章された金銭債権を受働債権として相殺するにあたって同有価証券を占有することの要否」金融法務事情■ハ五二号(平成一四年九月)三〇頁以下、野澤正充「有価証券に表章された金銭債権を受働債権とする相殺と同有価証券の占有の要否」判例評論五二五号(平成一四年一一月)三四頁以下)。この最高裁判決は、本判決のちょうど一週間後に示されたものであるが、ここでは、社債(金融債)が相殺の対象となりうることはむしろ当然の前提とされているようである。両判決の対照も興味を引くところである。 以下では、まず、実務における影響について触れ(二)、次に、本判決が示す社債の特質について検討し(三)、最後に若干の事柄につき指摘したいと思う(四)。一一まず、本判決の実務における影響について簡単に触れ127法学研究75巻12号(2002二12)ておきたい。本判決は、長期信用銀行の発行した金融債を受働債権とする相殺の可否が問題となった事案であったが、金融債の特殊性には特に触れずに、社債一般の問題として、相殺は許されないとしている。長期信用銀行法四条一項によれば、長期信用銀行は、預金の受入に代え債券を発行して設備資金または長期運転資金に関する貸付をすることを主たる業務として営む銀行と位置付けられている。このように、長期信用銀行では、預金の受入先が制限され(長期信用銀行法六条一項三号)、債券(金融債)の発行(同法八条以下)がそれに代わる資金調達手段として期待されている(なお、金融債に関する最近の論考として、今井克典「銀行における資金調達方法としての社債・金融債の発行」名古屋大学法政論集一九一号(平成一四年三月)一頁以下、同「金融債と社債・預金」名古屋大学法政論集一八九号(平成一三年九月)九五頁以下がある)。これに対し、普通銀行においては、金融債の発行は認められず(商法に基づく社債の発行は可能である。それらの対比については、今井・前掲各論文、証券取引法研究会﹇川口恭弘(報告)﹈「金融機関と社債①」インベストメント五三巻三号(=二九号)(平成一〇年)八四頁以下参照)、資金調達は預金が中心となるものと考えられる。また、普通銀行の与信業務における債権回収の場面では、預金を受働債権とする相殺がその重要な手段となっている(銀行取引約定書七条一項参照。なお、全国銀行協会連合会は、平成一二年四月、銀行取引約定書について、従来のひな形方式を放棄することを決定している)。そこで、長期信用銀行の金融債を、普通銀行における預金の役割と対比して考えると、長期信用銀行実務においても、金融債を受働債権とする相殺によって債権回収を図ることが期待されるものと推測される。長期信用銀行実務において金融債を相殺の対象とすることは、必ずしも頻繁にあることではないのかもしれないが、本判決の結論はやはり影響があろう(上原敬H階猛「金融機関は自己が発行する金融債を受働債権として相殺ができるかP」銀行法務21四六巻五号(六〇三号)(平成一四年四月)三六頁以下、秦光昭「社債による相殺の可否」金融法務事情一六四二号(平成一四年五月)三八頁)。ただ、以上のような長期信用銀行にとっての金融債の特殊性から、長期信用銀行側の相殺の期待が保護に値するものであり、したがって、相殺が認められるべきであると結論を急ぐのは行き過ぎであろう(今井克典「社債を受働債権とする相殺」名古屋大学法政論集一九二号(平成一四年六月)二一九〜二二〇頁(以下、「本件評釈」とする)。なお、野澤・128半り例研究前掲一九九頁)。この点、本判決は、こうしたいわば事案の特殊性といったものは特に取り上げることなく、およそ社債一般の性質というところからその是非を論じている。こうした意味では判旨は一貫している。そこで次に問題になるのは、判旨の説く社債の性質論の是非である。この点については、次の三で検討して行きたい。 なお、先に触れたように、別件ではあるが、本判決直後の最高裁判決(前掲・平成二二年二一月一八日)は、社債を受働債権とする相殺が可能であることを当然の前提としているようである(ただし、潮見・前掲三二頁)。そうであるとすると、本件上告審の結論も本判決とは異なる結論となることが予想される。上告審の結論が待たれるところである(事案が異なることを指摘するものとして、早川・前掲一二一頁、水元・前掲二〇三頁、野田博「!証券会社に貸付債権を有していた銀行が同貸付債権を自働債権とし証券会社が保有する銀行発行の社債(金融債)を受働債権としてした相殺が認められないとされた事例、2社債を対象として発行会社が相殺できる旨を定める約定の効力が認められないとされた事例」金融・商事判例こ四七号(平成一四年八月)六七頁)。三 本判決が社債を相殺の対象とすることができないとの結論を導くにあたり、最も強調している点は、社債の定型性、大量性、集団性、公衆性といった特質である(〔判旨〕中の①⑥@ω)。社債のこうした特質は「各社債権者の権利が定型化され個性を喪失し、その金額以外の点においては一つのものが他のものと全く異なるところのないこと意味する」(〔判旨〕中のω)ものだとしている。以下に、本判決が一貫して強調している、この社債の特質について、若干考察を試みたい。 判旨中にも引用されている田中耕太郎「社債の法律的特異性」(昭和四年)では、「社債が集団性を有すること……は、各社債関係が定型化され、個性を喪失し、其の金額以外の点に於ては、一つのものが他のものと全く異る所なきことを意味する。此の故に、同時に同一の条件にて募集せられたる所の社債は其の利害関係に於て全く同一なり、と云うを得る」(『商法学特殊問題上』(昭和三〇年)三五三頁。原文は旧字体)、また、「法律関係が附合契約的であリ、定型化され個性を喪失していることは、社債の場合に於ても、株式の場合と同じく社債権者の地位を平等ならしむる。株主平等の原則と並行して社債権者平等の原則が存在しなければならぬ。是れ債権者集会の如き団体が認めらるる各種の場合に存在する原則であって社債権者の場合に於ても129法学研究75巻12号(2002:12)同様であり、株主の場合に限ったことではないのである」(同三七六頁)とされている。本判決もこうした考え方を承けたものであると推測される。判旨の強調する社債の特質は、引用した論文中にもあるように、「社債権者平等の原則」という言葉に要約することができるであろう(田邊宏康「発行会社がする社債に対する相殺の許否」受験新報五二巻四号(六一四号)(平成一四年三月)一三頁(以下、「本件解説」とする))。そして、その社債権者平等の原則の内容は、株主平等の原則のアナロジーとして把握されうるもののようである。こうした本判決の考え方に賛意を表すものもある(田邊・前掲本件解説一三頁)。しかし、社債権者平等の原則に、株主平等の原則におけると同程度に強力な意義を与えることにつき否定的な見解(鴻常夫『社債法』(昭和三三年)二二四〜二二五頁注三、田中誠二『三全訂・会社法詳論下巻』(平成六年)一〇三九頁、神作裕之「社債管理会社の法的地位」鴻常夫先生古稀記念・現代企業立法の奇跡と展望(平成七年)二〇四〜二〇五頁)も一方で存在する。そこで、本判決の述べる社債の特質について検証しつつ、その是非を検討してみようと思う。 これに関して本判決中で注目される点は、第一に、社債について相殺が可能であるとすると、相殺の抗弁が付着した社債とそうでない社債と、内容の異なる社債が生まれることになるとしている点(〔判旨〕中の①)、第二に、社債は市場取引に適するよう、ある社債が他の社債と全く異なるところがないことが必要であるとしている点(〔判旨〕中の⑥)である。そこで、この二つの点について検討してみたい。 第一の点、相殺の抗弁が付着した社債とそうでない社債との間で、内容の異なる社債が生ずるとしている点についてである。まず、社債券、とりわけ実務において通常用いられている無記名社債については(なお、記名社債につき指図証券性も無記名証券性も否定する見解がある(北沢正啓『会社法・第六版』(平成二二年)六四四頁。また、鴻・前掲一六三頁、江頭憲治郎『株式会社・有限会社法・第二版』(平成一四年)五三九頁注一九)。また、私募債、登録債につき指名債権性を認めるものがある(山田剛志「銀行が有する証券会社に対する貸金債権を自働債権とし、証券会社が保有する銀行発行の社債(金融債)を受働債権として行った相殺と銀行取引約定」判例タイムズ一〇八七号(平成一四年六月)七六〜七七))、民法四七三条により、抗弁の切断が認められることになる(上原U階・前掲三七頁参照)。そうすると、相殺があっても善意の所持人は保130判例研究護されることになるはずである(秦・前掲三七頁、鳥山恭一「社債を受働債権とする相殺の可否」法学セミナー五七一号(平成一四年七月)一一〇頁、野田・前掲六五頁、野澤・前掲一九九頁)。したがって、善意の所持人にとっては抗弁の付着した社債云々ということは問題にならないであろう。そもそも、当事者の主観によって抗弁を対抗されるか否かということが、社債の内容が異なるということになるとは思われない。そうすると、仮に社債権者平等の原則の存在を是認するとしても、ここに同原則を持ち出して社債の相殺の可否を論ずることは筋が違うことのように思われる。 第二の点、社債は市場取引に適するよう、ある社債が他の社債と全く異なるところがないことが必要であるとしている点についてである。本判決によれば、さもなければ、市場における取引対象としての適格性を欠くことになり、市場における社債の価格形成に支障を来すことになると言う。そして、社債について相殺を認めることは、正に、社債の市場取引適格性を害し、こうした支障を来すので許されないのだとする。 株式の均一性と市場取引適格性という考え方は、近時、株主平等の原則をめぐる議論において、指摘されるところである。すなわち、株主平等の原則の内容のうち株式の均一性が要請されるという側面について、株式に均一性が求められるのは、株式が市場取引に適合するよう単位の均一性・品質の同質性を要求されることによるとの指摘である(上村達男「株主平等原則の理論的基礎」専修大学法学研究所紀要一一民事法の諸問題W(昭和六一年)一四〇頁以下、同「株主平等原則」(平成三年)竹内昭夫(編)『特別講義商法1』(平成七年)二四頁以下)。つまり、他の会社形態におけるのとは異なり、株式会社では、社会に散在する遊休資本を効率的に集中させる仕組みとして、株式が高度に組織化された市場取引の取引客体として耐えうるよう、株式の均一性が要請され、そして、これが従来株主平等の原則として把握されてきた内容の一側面であるというわけである。本判決は、こうした株主平等の原則についてなされた議論を、社債制度においても同様に考えることができる旨を述べたものであろう(なお、上村・前掲「株主平等原則」二六頁も、社債に関して、株式についてと同じ理由から、その均一性が要請されることを指摘される)。社債権者平等の原則が、そもそも株主平等の原則のアナロジーとして語られてきたことからすれば、以上のようなことが社債においても成り立たないものではないとも考えられる。131法学研究75巻12号(2002=12) しかし、こうした、いわば「社債均一性の原則」とでも称されるべき事柄と、本件で問題となっている社債を対象とする相殺の可否ということとは、やはり別の次元の問題のように思われる。先ほども述べたように、当事者の主観的態様によって抗弁を対抗されるか否かということは、社債の均一性に関わる事柄ではないと思われるからである。 また、異なる内容の社債の併存によって価格形成に支障が出るとの点についてであるが、一般論として、そもそも、異なる内容の社債が併存するような場合には、当然のことながら、それぞれの社債について、それぞれの市場が形成され、それぞれの市場価格が成立することになるはずである(今井・前掲本件評釈一二二〜二二三頁)。この点、株式においては、各種類株式の内容が商法上定型化されており(商法二二二条)、そうした関係がはっきりしているが、社債については、こうした種類の定型化がなされていないというだけのことだと思われる。社債法においては社債の種類を定型化する規定は存在せず、同一の会社において内容の異なる社債が併行して発行されるような場合には、内容の異なるそれぞれの社債において、それぞれ単位の均一性が要求される(商法二九九条)ということである。そして、ここで、均一性が要求されるのは、社債権者集会の議決権(商法三二一条一項)行使においてその算定を複雑にしないためという要請に出たものである(田村諄之輔「§299」上柳克郎H鴻常夫H竹内昭夫(編)『新版注釈会社法⑩社債①』(昭和六三年)四九頁)。それ以上に、市場取引のための適格性を実現する趣旨であるなどとするまでのことはないものと考える。つまり、社債について、株主平等の原則におけると同じように、社債権者平等の原則を認めることはできないと言うべきである。 以上のように、相殺の可否が社債の均一性を害するとは認められないし、また、そもそも、いわゆる社債権者平等の原則の存在を肯定することもできないから、判旨の説く社債の特質についても賛成することはできない。四 最後に、若干の事柄について簡単に指摘しておきたい。 一つ目は、本判決は、社債の内容は、社債申込証(商法三〇一条)ないし社債契約によって決せられるため、それ以外の個別の法律関係の影響を受けることは予定されておらず、したがって、社債の相殺は許されないとしている点についてである(〔判旨〕中の⑭)。この考え方によれば、仮に、社債申込証や社債契約中に任意的に相殺をなし得る旨を定めておけば、社債についても相殺が認められるということになりそうである。しかし、本判決の他の部分で述132判例研究べられていることからすると、そもそも社債についてはおよそ相殺が認められないというのが、本判決の立場のようである。そうすると、この箇所は、やや他の部分と噛み合っていないように感じられる。また、本判決のこの箇所の論理からすると、社債券の性質は有因証券かつ非文言証券と解する立場(鴻・前掲一五四頁注四、長谷川雄一『有価証券法通論』(平成二﹈年)六八〜七二頁)を前提としているように推察されるが、無因証券かつ文言証券と解する立場(蓮井良憲「§306」上柳克郎U鴻常夫H竹内昭夫(編)『新版注釈会社法⑩社債ω』(昭和六三年)八九頁)、あるいは、有因証券かつ文言証券と解する立場(田中誠二・前掲一〇三二〜一〇三三、北沢・前掲六四一頁)も有力であり、この点からも異論の生ずる余地がある。 二つ目は、本判決は、社債を受働債権とする相殺を認めると、自働債権が社債の金額を下回る場合には、商法二九九条の求める各社債の金額の均一性に反する社債が生じ、あるいは最低額をもって整除し得ない社債が生じ、そうすると、社債権者集会の議決権行使に不都合が生じるとする点についてである(〔判旨〕中の@)。しかし、そのような場合には、相殺とともに残金の精算をすることになろうし(秦・前掲三七頁)、そもそも商法二九九条違反の社債は無効であるとするのが通説であるから(田村・前掲四九頁。もっとも、ここで無効とされるものが何であるかは問題とする余地があるように思われる)、これに従う限り本判決が危惧するような事態は想定する必要がないものと思われる(なお、今井・前掲本件評釈二二四頁)。 三つ目は、本判決は、本事案では、社債が登録債として発行され、しかも発行会社自身が登録機関であったため、たまたまYが社債権者が誰であるかを知り得たのであって、一般の社債においては、社債権者が誰であるかを発行会社が知りうることは困難であるから、相殺を期待しうる状態にはないとしている点についてである(〔判旨〕中の㈲)。しかし、これは社債においては事実上相殺を期待することが難しいということが言えるだけであって、このことから理論上相殺ができないということにはならないであろう(秦・前掲三九頁注二、今井・前掲本件評釈二二五頁。また、登録債の場合に、実質保有者と登録名義とが異なることがあり、そうした場合、相殺は認められるべきでないとするものとして森田章「金融債発行会社が社債登録名義人の保有する金融債を受働債権として相殺することの可否」判例評論五二四号(平成一四年一〇月)四一〜四二頁。なお、社債等登録法は廃止が決定された(社債等の振替に関133法学研究75巻12号(2002=12)する法律附則三条、証券決済制度等の改革による証券市場の整備のための関係法律整備法附則三条参照))。五 以上のとおり、本判決が説く社債の特質についての理解には賛成できない。したがって、それを理由に社債を対象とする相殺が認められないとの結論には賛成できない。同様に、社債を相殺の対象とすることを認める旨の約定が公序に反し無効であるとの結論にも賛成できない。 杉田 貴洋134
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「担保・執行法制の見直しに関する要綱中間試案」の執行法制に関する事項についての意見
「担保・執行法制の見直しに関する要綱中間試案」の執行法制に関する事項にっいての意見「担保・執行法制の見直しに関する要綱中問試案」の執行法制に関する事項についての意見第1 主として担保法制に関する事項……本稿ては扱わない。第2 主として執行法制に関する事項 1 いわゆる占有屋等による不動産執行妨害への対策 (1) 民事執行法Lの保全処分の強化(民事執行法五五条 等関係) (ア) 要件の緩和 (イ) 不動産の保管 (ウ) その他 (2) 明渡執行の実効性の向L (ア)占有移転禁止の仮処分における債務者の特定方法 (民事保全法六二条関係) (イ) 承継執行文における承継人等の特定方法(民事執 行法二七条二項関係) (ウ) 明渡しの催告(民事執行法一六八条関係) (3) その他の方策 3)5)4)32)1_そ坂原正夫 (1) 間接強制の適用範囲の拡張(民事執行法、七二条等 関係) (2) 債務者の財産を把握するための方策 (3) 少額定期給付債務の履行確保 その他2 強制執行の実効性の確保一般先取特権の実行等動産競売(民事執行法一九〇条関係)差押禁止財産不動産競売に関するその他の見直しその他101法学研究75巻12号(2002:12) 平成一四年四月一四日付けで、法務省民事局参事官室から「担保・執行法制の見直しに関する要綱中間試案」について、意見照会が慶鷹義塾大学法学部に行われた。この種の意見照会に対して慶鷹義塾大学民事訴訟法研究会は、通例、回答のための特別な研究会を設けて、そこでの討論を基に意見書をまとめて回答してきた。しかしながら、今回は提出期限が短いこともあって、そのような方法で回答することは時間的に無理なので、断念せざるをえなかった。しかし、共同研究に基づく回答は無理であっても、民事訴訟法の専任教員として照会事項に関しては意見を表明すべきであると思ったので、中間試案の「第2 主として執行法制に関する事項」について、自らの意見をまとめて、個人の意見として法務省に提出した。そこで、本誌に資料としてその内容を公表する。なお試案は横書きで発表されたので、意見書は横書きで作成した。本誌に掲載するに際しては、アラビア数字を漢数字に改め、縦書きに変更した。また、誤字の訂正や意見を明瞭にするための字句の修正も施した。 確かにこれは法学部としての意見ではないし、民事訴訟法研究会の意見ではない。しかし、従来も民事訴訟法関係の法改正に関する照会に対しては、法学部としてあるいは民事訴訟法研究会として統一的な見解をまとめて回答したのではない。研究会での議論を参考にして、各自が分担した箇所を個人の責任でまとめて回答してきたのである。したがって、今回このような個人的な意見でも照会に回答することは、従前の例によればそれほど特別なことではなく、許されるのではないかと思う。ところで、なぜ三木浩一教授と共同で意見をまとめなかったのかというと、教授は試案の作成に関与されたために意見を試案に表明することができないという立場にあったからである。第2 主として執行法制に関する事項1 いわゆる占有屋等による不動産執行妨害への対策(1) 民事執行法上の保全処分の強化(民事執行 法五五条等関係) (ア) 要件の緩和 民事執行法五五条の保全処分の要件につき、 これを緩和する方向での見直しをすることとし、 次のような点について引き続き検討する。 a 不動産の価格を減少する程度が著しいもの であることを要しないものとするかどうか。102「担保・執行法制の見直しに関する要綱中間試案」の執行法制に関する事項にっいての意見 (注) 不動産の価格を減少させている占有者 に対しては、その者が執行妨害の意図を 有するものであるかどうかに関わらず同 条の保全処分を発することができるもの とするか、また、当該占有者のうち、例 えば、占有権原を有しないものに限って これを肯定するか等について検討する。b 同条二項の執行官保管の保全処分につき、 「特別の事情」がない場合であっても同条一 項の規定による命令に違反したことを要しな いで、同項の保全処分と同様の要件の下で発 することができるものとするかどうか。c aのような見直しをしない場合であっても、 不動産の現状の変更(占有の移転を含む。) の禁止を命ずる保全処分については、価格減 少行為等があることを要しないで、執行裁判 所が必要があると認めるときに発することが できるものとするかどうか。d cの禁止命令に違反した者に対しては、価 格減少行為等があることを要しないで、同条 二項の執行官保管の保全処分を発することができるものとするかどうか。(後注)同法六八条の二、七七条及び一八七 条の二の保全処分についても、同法五五 条の保全処分についての検討結果等を踏 まえて、さらに検討する。〈結 論〉 いわゆる占有屋に対抗して、保全処分を強化することには賛成である。〈理 由〉 民事執行法はいわゆる占有屋なる者を想定していないので、占有屋に対する対抗手段は十分ではない。そして、そのことが占有屋に活動する余地を与えることになっている。正に占有屋は民事執行法への挑戦である。したがって、占有屋の占有を早急に排除できるような法制度が必要である。具体的な方策としては、占有屋は法が規定する債務者保護制度を悪用しているのであるから、占有屋にそのような保護を与えないことである。また占有屋のための特別な執行手続を用意するのも一案である。いずれにしても通常の手続とは別な方法で対抗するしか方法がない。しかし、問題は占有屋の占有とそうでない者の占有をどのようにして区103法学研究75巻12号(2002:12)別して、占有屋なる者をあぶりだすのかということである。これは容易なことではない。占有屋以外の者の占有を配慮することが必要であり、占有屋対策が占有屋以外の者に及ぶことは極力避けなければならない。つまり、占有屋対策は一方で占有屋を排除し、他方でそれ以外の者の占有を保護することが求められるのであり、両者のバランスをとるのは簡単なことではない。 試案のabcdは、このようなことを十分に考慮したうえで作成されており、その試みは十分に理解できる。占有屋に対してはあらゆる方法で対応せざるをえないことを考えると、これらの案をすべて実施してもよいと考える。もっともab案の場合は実施に当たって、通常の債務者等の占有の保護を考慮したり、あるいは債権者に濫用されることのないように注意する必要がある。しかし、これらは解決が可能な問題であるから、これらの問題の存在を理由に制度の改革が消極的であってはならない。 abcdを実施する場合、細部について検討しなければならない問題は少なくないと思うが、実際の運用は執行裁判所の判断に委ねることが多いと思われる。そうであるならば、運用の細部を法で規定するよりも裁判所の裁量を規定する方法が検討されてもよいように思う。例えば立法が占有屋の排除にあることが分かるように、解釈や運用に関して指針になるような規定を設けるとか、また大局的に問題が解決できるように、立法の目的や理由を法文に明記することが考えられてもよいように思う。(イ) 不動産の保管 民事執行法五五条二項の執行官保管の保全処分につき、次のような点について引き続き検討する。a 執行官以外の者も不動産の「保管人」とな ることができるものとするかどうか。b 不動産を保管する執行官(保管人)の権限 について、例えば、不動産の価値を維持する ために必要な行為をすることができる、買受 希望者に対して不動産の内覧をさせることが できる等の規定を設けることとするかどうか。〈結 論〉 aのような考え方に賛成である。bについては、規定を設けることには賛成であるが、内覧を認めることには疑問がある。104「担保・執行法制の見直しに関する要綱中間試案」の執行法制に関する事項についての意見〈理 由〉 aは不動産の管理を業とする法人等が不動産の管理に積極的に関与することの提案である。不動産の管理を業とする法人等が不動産の管理に積極的に関与することは不動産の保管をより効率的にし、手続を透明にするものと考える。すなわち保管業者の参入は、不動産管理の合理化を一層促進させ、管理制度をよりシステム化すると思う。 bは執行官(保管人)の権限に関するものである。不動産の価格維持のために必要な行為ができるようにすることは賛成である。現行法でも解釈上可能であると思うが、執行官の権限については疑義が生じることがあってはならないから、明文規定を設けるべきである。 次の問題は内覧を認めるか否かということである。居住者がいる場合に内覧を認めることは、居住者のプライバシーや平穏な生活を送る権利等を考えると問題が多い。しかし、内覧を認めないで、不動産の購入希望者に応札を求めるのも好ましいことではない。そこで写真、ビデオ等を利用して、居住者のプライバシーに配慮しつつ、単に外見だけでは分からない重要な事項が分かるような資料が専門家の監修のもとに作成されるべきではないかと思う。あるいは買受希望者の質問権を保障する方法を手続において明記すべきではないかと思う。例えば、執行官等が回答のため当該不動産について調査することができる権限を法に明記するなり、質問に回答する義務がある旨の訓示規定を設けるなりの方法が考えられる。(ウ) その他 民事執行法五五条の保全処分につき、その他、次のような点について引き続き検討する。a 保全処分の相手方である不動産の占有者を 通常の方法により特定して表示することが困 難である特別の事情がある場合には、相手方 の表示を「(保全処分執行時の)不動産の占 有者」として、保全処分を発することができ るものとするかどうか。b 民事執行法五五条の保全処分として、民事 保全法六二条一項に規定する内容の命令(占 有移転禁止命令)が発せられ、これが執行さ れたときは、不動産の売却後に当該保全処分 の債務者に対して発せられた引渡命令の執行 力が、同条の定めるところと同様に拡張され るものとするかどうか。105法学研究75巻12号(2002:12)c 民事執行法五五条一項の保全処分により、登記の名義人等に対し、登記の抹消等を命ず ることができるものとするかどうか。〈結 論〉 abcのそれぞれの提案に賛成である。〈理 由〉 占有屋等の執行妨害に対抗するためには、占有者が不明な場合や占有者が頻繁に変わることを念頭に対策が考えられねばならない。占有者が特定できることを前提とした通常の手続による対応策では限界があり、不十分である。対策の原則は手続において債権者側の負担をできるだけ軽減して、手続を一方的に進行させることである。すなわち執行妨害のための行為が無駄になるように手続を構築することである。もちろん、執行妨害ではないとの主張を聞く必要があるが、それによって手続の進行が阻害されるようなことであってはならない。このような視点で試案の提案を見てみると、提案は執行妨害の対策として、従前の理論との調和を考慮しながら、慎重によく考えられている。その意味で提案には賛成である。しかし、執行妨害によって従来不当な利益を得た者がこのような対策だけで根絶するとは思えない。提案に止まることなく、執行妨害の阻止のためには、従前の理論にとらわれないより大胆な対策が模索されなければならないであろう。(2) 明渡執行の実効性の向上(ア) 占有移転禁止の仮処分における債務者の特定方法(民事保全法六二条関係) 不動産の占有移転禁止の仮処分において、通常の方法により債務者を特定して表示することが困難である特別の事情がある場合には、債務者の表示を「(仮処分執行時の)不動産の占有者」として、仮処分を発することができるものとする。〈結 論〉 賛成であるが、効果に疑問がないわけではない。〈理 由〉 正常でない事態に対応するためには、既存の手続にとらわれないで対応することが必要である。そこでは慎重な手続よりも、執行の実効性が優先されなければならない。債務者を特定することは通常は債権者の責任であり、もしそ106「担保・執行法制の見直しに関する要綱中間試案」の執行法制に関する事項についての意見れができない場合は、それに伴う不利益は債権者が負うべきであるが、執行妨害が認められるような場合には、この原則は通用しない。もし原則どおりで占有移転禁止の仮処分ができないことになれば、債務者を不当に利することになるからである。したがって執行妨害が認められるような場合は、債務者の方が占有者の特定や占有権原を明らかにする義務があると考えるべきであり、そのような認識のもとで債務者の特定の問題は考えられるべきである。すなわち、執行妨害のために(占有者の非協力によって)、債権者が占有者を特定することが困難な場合は、不特定のまま執行できるような手続が構築されるべきではないかと思う。そのように考えるので、提案には賛成であるが、提案のように仮処分の発令のための対策だけでは不十分なように思う。執行妨害を行う者が、そのようなことだけで簡単に引き下がるとは思えないからである。執行妨害を標的にした、より強力な対策を考える必要があるようにも思う。(イ) 承継執行文における承継人等の特定方法(民事執行法二七条二項関係) 不動産の占有移転禁止の仮処分(民事保全法六二条)等があらかじめ執行されている場合における不動産の引渡し又は明渡しの強制執行(以下「明渡執行」という。)において、債務名義上の債務者以外の不動産の占有者を通常の方法により特定して表示することが困難である特別の事情があるときは、承継人等の表示を「(明渡執行時の)不動産の占有者」として、承継執行文を付与することができるものとする。 (注) 不動産の占有移転禁止の仮処分等があ らかじめ執行されている場合には、債務 名義上の債務者以外の不動産の占有者に 対しても、承継執行文を要しないで、明 渡執行を行うことができるものとすべき であるとの意見がある。〈結 論〉 賛成である。〈理 由〉 (ア)で述べた理由がここでもそのまま通用する。なお注では仮処分等が執行されている場合、債務名義上の債務者以外の不動産の占有者に対しては、承継執行文は不要とする意見が紹介されている。執行の実効性を高めるために、107法学研究75巻12号(2002:12)この意見に賛成である。確かに債務名義の表示と実際の占有者が異なる場合、原則に基づいて承継執行文を必要とするならば、不当執行、違法執行が防止され手続の安定が得られるように思う。このことを考えると、承継執行文は必要かもしれない。しかし、承継執行文を必要とするならば、執行を妨害して不当な利益を得ようとする者が、それを悪用するであろうことは十分考えられる。そうであるならば、それに対抗するために、仮処分等が執行されている場合には承継執行文は不要とすることは許されるべきではないかと思う。(ウ) 明渡しの催告(民事執行法一六八条関係) 明渡執行を行う執行官が、債務名義上の債務者(承継執行文における承継人等を含む。)による不動産の占有を認定して執行可能であると判断した上で、断行期日を定めて明渡しの催告をした場合につき、所要の事項を公示する等の措置を講ずるものとすることを前提として、例えば、次のような効果を与えるものとする。a 断行期日までの間に占有者の変更があった 場合であっても、承継執行文を要しないで、 直ちに明渡しの断行をすることができる。b 断行期日において取り除くべき目的外動産 がある場合において、これを債務者等に引き 渡すことができないときは、執行官は、当該 動産を保管することを要しないで、直ちに動 産執行の売却手続により売却することができ る。〈結 論〉 賛成である。〈理 由〉 aやbで想定されているようなことは通常はあまり考えられないように思うが、執行を妨害する者がいる以上、考えておかなければならない。もし執行手続がこのようなことで遅延するようなことがあれば、執行を妨害する者を利することになり、執行に対する国民の信頼を失うことになる。手続の欠陥という批判を避けるためにも、このような事態に即応できる制度が必要である。提案の方法は慎重な配慮のもとにこのことが考えられており、十分な効果的が発揮できると思う。108「担保・執行法制の見直しに関する要綱中間試案」の執行法制に関する事項についての意見(3) その他の方策 いわゆる占有屋等による不動産執行妨害を排除 するためのその他の方策につき、なお検討する。 (注)例えば、自らの占有権原を明らかにしな い占有者につき一定の手続の下で失権させ る制度を導入すべきである、濫抗告への対 策として引渡命令につき確定前に効力が生 じるようにすべきである(民事執行法八三 条五項参照)等の意見がある。〈結 論〉 注で述べられている案に賛成である。〈理 由〉 執行手続において手続保障が悪用され、それによって不当な利益を得ようとする者がいる以上、そのような者を排除するために、対抗する手段が構築されなければならない。そこでは通常の手続上の考えを逆転させ、権利を主張する者や異議を述べる者に大きな負担を課すべきであるし、手続保障は残すにしても例外的に限定的に考えるべきである。そのようなことから、注で述べられている諸方策は評価できる。もちろん提案されている制度が不当に使用されることのないように注意しなければならないが、それよりも手続保障の濫用対策が優先されるべきである。2 強制執行の実効性の確保(1) 間接強制の適用範囲の拡張(民事執行法一 七二条等関係) (ア) 「作為又は不作為を目的とする債務」及 び物の引渡債務についての強制執行は、間接強 制の方法により行うことができるものとする。〈結 論〉 賛成である。〈理 由〉 今日において重要なことは、執行の実効性を確保することである。もちろん債務者の保護は考えねばならないし、無視してはならないが、債務者の保護を強調するあまり、必要以上に手続が重くなってはならない。そのようなことから、間接強制が適用される範囲を拡張させ、執行の実効性と効率性を高めることには賛成である。そもそも問接強制が債務者の人格尊重の点で他の執行方法に比べて問題が109法学研究75巻12号(2002:12)あるとは思えないし、間接強制の補充性という原則それ自体も一部の学説が主張しているように絶対的な原則ではない。なお問接強制を導入する場合、それによって債務者に著しい不利益が生じることのないように配慮しなければならない。(イ) すべての金銭債務又は一定の金銭債務(例えば、少額債務、少額定期給付債務)についての強制執行を間接強制の方法により行うことができるものとするかどうかについては、引き続き検討する。〈結 論〉 金銭債務に対する間接強制は、一定の場合に限って認めるべきである。〈理 由〉 金銭債務に対する問接強制には種々な問題がある。例えば、直接強制で執行ができないものが間接強制で執行ができるとは限らないし、強制金をめぐる法律問題(その性格、受領の根拠等)も十分に解決されているようには思えない。そこで間接強制の導入よりも直接強制の実効性を確保するために、手続を整備することが重要であるとする見解は正論である。しかし、他方、債務者が任意で簡単に履行できるのに、わざと履行しない場合もあることも事実である。このような場合は間接強制によって債務者の任意の履行を促す方が、直接強制で対応するよりも実効性の点で優れているように思う。そもそもこのような場合を現行法は想定していないと思うので、このような特別な場合に限って問接強制による執行を認めるべきである。金銭債務について一般的に間接強制を認めることには、前記のような問題があることから賛成できない。 問題はこのような場合を法文で要件化できるかということであるが、試案で提案されているような場合を例示として、それらを含めて「間接強制による執行が必要な場合」というようなことでまとめることは可能と考える。(2) 債務者の財産を把握するための方策(ア) 次のような財産開示の手続を設けるものとする。a 執行裁判所は、金銭債権についての債務名義を有する債権者の申立てにより、財産開示 の期日を定めて、債務者を呼び出すものとす110「担保・執行法制の見直しに関する要綱中問試案」の執行法制に関する事項についての意見 る。 (注) その債務名義が少額訴訟判決である場 合につき財産開示の手続を簡易裁判所に おいて行うものとするかどうか、一般先 取特権を有する者もその存在を証する文 書を提出してこの手続の申立てをするこ とができることとするかどうか、強制執 行を試みたが不奏功に終わったこと等を この手続の申立要件とするかどうか等に ついて、なお検討する。b 財産開示の期日において、債務者は、宣誓 の上、自己の財産状況を開示しなければなら ないものとする。 (注) 債務者が開示すべき財産の範囲につき 申立債権者の債権額を考慮するものとす るかどうか等について、なお検討する。c 債務者が正当な理由がないのに期日に出頭 せず、宣誓若しくは財産開示の陳述を拒み、 又は虚偽の陳述をした場合等につき、所要の 罰則を設けるものとする。 (注) 罰則の内容をどのようなものとするか については、なお検討する。(後注) 財産開示の手続とは別に、執行官は、 債権者の申立てにより、動産執行の際に、 債務者の有する財産に関して債務者等に 対し質問をすることができ、これによっ て取得した情報等を債権者に通知するこ とができるという制度を設けることとす るかどうかについて、なお検討する。〈結 論〉 abcのそれぞれの提案に賛成である。〈理 由〉 債権者は強制執行に際しては債務者の財産を探す必要があるが、これは必ずしも簡単なことではない。そこで債権者による債務者の財産の調査を簡単にして債務者の財産の把握を容易にすれば、執行の実効性を高めることは確実である。また開示を望まない債務者は積極的に履行すると思うので、債務者の財産の開示制度は、債務者の任意の履行を促すためにも十分な効果を発揮すると思う。そのようなことから、提案に賛成である。 問題は債務者の負担である。これについては、そもそも111法学研究75巻12号(2002=12)強制執行ができる状態にある場合には、債務者は執行を受忍せざるをえないのであるから、その前提として債務者は財産を開示する義務があると考える。したがって、債務者が財産を開示しない場合は、債務者はその理由を説明すべきである。もし債務者が財産の開示を嫌うのであれば、債務を任意に履行すれば開示しなくて済むから、問題はない。また債務者が履行できない状態にあれば、財産を開示しても失うものはないから、債務者に不利益が生じるものではない。このように考えると、債務者に財産の開示を義務づけることに問題はない。 なおabcにはそれぞれ注が付されているが、abの注での問題提起については次のように考える。aの注において、少額訴訟判決である場合は簡易裁判所で財産開示の手続を行うとする案が紹介されているが、この案には賛成である。少額訴訟で得られた判決の実効性を確保するための制度と位置付けるからである。少額訴訟手続という手続を用意する以上、その執行に関する手続も併せて用意すべきであり、開示手続は任意履行を促すのに効果的な制度と考えるからである。そのように特別なものと位置付けるべきであるから、少額訴訟以外の場合における開示制度との調和や調整については、殊更重視する必要はないと考える。 一般先取特権者の申立てに際して、提出する文書に関して特別な扱いをすべきであるという意見がある。この案に賛成である。一般先取特権者はできる限り優先的に保護されなければならないが、提案はそのための有効な手段と考えられるからである。もっともいかなる文書の提出を求めるかは難しい問題ではあるが、しかし、そのようなことを理由に制度の利用を認めないということであってはならない。文書の問題は今後考えねばならないが、しばらくは実務の運用に委ねざるをえないのではないかと思う。 債務者の財産の開示が認められるためには、強制執行の不奏功を要件とするかという問題がある。これは不要と考える。要件とすることは債務者保護の観点から望ましいが、しかし、執行の実効性を高めるという点からは疑問である。既述のごとく開示制度は任意の履行を促す機能があるから、最初に債務者の財産の開示を求めて、執行の効率性を高めるべきである。さらに付言すれば、そのことによって債務者が特に不利益になるというものではないと考える。すなわち債務者は執行を受忍する義務がある以上、多少の不便や不利益が生じるのはいたしかたないのである。また執行を受ける理由がないのであれば、その主張は手続の中で債務者が行えば済む問題である。このようなことから、債務112「担保・執行法制の見直しに関する要綱中間試案」の執行法制に関する事項についての意見者の財産の開示の要件として強制執行の不奏功を要件とするのは、執行の実効性を高めるという点で疑問がある。 bの注においては、申立て債権額を考慮して開示すべき財産の範囲を決めるべきか否かという問題が提起されている。公平の観点から当事者間の利害状況のバランスを考えると、開示すべき財産の範囲は債権額に限られることになる。しかし、債務者の全部の財産開示を求めることができるとするならば、それを嫌う債務者は任意の履行をすることになるから、結果的に履行を促すことになるし、債務者の全部の財産が開示されればその後の執行は容易になるから、債務者の全部の財産の開示を求めるべきである。問題は債務の履行がなされないことにあるのであるから、債務者は財産の開示に伴う不利益は受忍すべきものと考える。 なお後注においては、動産執行の際に執行官が債務者に対して債務者の財産に関して質問する権利と、それを債権者に通知する権限を認めるか否かについて問題が提起されている。認めることに賛成である。これらの権利を認めたにしても、問題が生じるとは思えないし、執行の実効性を確保し効率化を目指すという点で望ましいと考えるからである。(イ)金銭債権についての債務名義を有する債権者の申立てにより、執行裁判所が、債務者の有する財産に関し第三者に対して照会する等の制度を設けるかどうかについて、なお検討する。〈結 論〉 照会制度の創設に賛成である。〈理 由〉 照会される第三者からすると少なからず負担が生じるし、執行の実効性を高めることになるかについては、多少の疑問がないわけではない。しかし、債務者の財産について債権者が調査することは必ずしも容易ではないことを考えると、債権者にかような方法を認めてよいのではないかと思うし、多少とも執行の実効性を高めることになるように思う。(3) 少額定期給付債務の履行確保(ア) ﹇子の養育費など一定の少額定期給付請求権﹈についての強制執行においては、弁済期の到来した定期金についての差押えと同時に、ll3法学研究75巻12号(2002:12)弁済期の到来していない定期金についての差押えをすることができるものとする。ただし、弁済期の到来していない各定期金についての差押えの対象は、﹇債務者の給料債権など一定の継続的給付に係る債権﹈であって、その弁済期が当該定期金の弁済期より後に到来するものに限るものとする。 (注) ﹇子の養育費など一定の少額定期給付 請求権﹈及び﹇債務者の給料債権など一 定の継続的給付に係る債権﹈の範囲につ いては、なお検討する。〈結 論〉 賛成である。〈理 由〉 子の養育費に代表されるような一定の少額定期給付請求権については、執行によって完全にその内容が実現されなければならない。このことを確実に保障するためには、この種の請求権の執行手続は簡単で容易なものでなければならない。そしてこの種の請求権は将来においても履行されなければならないのであるから、将来履行されないおそれが生じた場合には、弁済期以前においても執行を容易にするような対応が必要である。そのようなことから、試案の提案に賛成である。しかしそうであるからといって、債務者の権利を不当に制約するものであってはならない。そもそも債務者は弁済期以前に弁済する義務はないからである。債務者のそのような権利は尊重されなければならないから、弁済期以前にもかかわらず執行する場合は、たとえそのために合理的な理由があったとしても、債務者の権利の制約は必要最小限のものでなければならない。提案の要件はそれに合致していると思う。債務者の生活を不当に侵害するものではないし、債務者の不利益について配慮しているからである。(イ) ﹇子の養育費など一定の少額定期給付請求権﹈については、その強制執行において、民事執行法一五二条一項により給料債権等の差押えが禁止されている部分のうち一定の部分に対しても同法一五三条による範囲変更の決定を要しないで差押えをすることができるものとするかどうかなど、その履行確保をより充実させるための手続上の方策について、なお検討する。114「担保・執行法制の見直しに関する要綱中問試案」の執行法制に関する事項についての意見(注) ﹇子の養育費など一定の少額定期給付 請求権﹈の範囲については、なお検討す る。〈結 論〉 提案のような差押えに賛成である。〈理 由〉 子の養育費に代表されるような一定の少額定期給付請求権の履行の確保は、事柄の性質上重要な問題である。そこでこのような請求権は平等主義とはいえ、他の債権よりも優先的に履行が確保されなければならない。またそのための手続を考える場合、このような請求権の履行の確保が、債務者の地位や利益よりも重視されねばならないと思う。したがって、このような権利を提案のように執行において処遇することは、賛成である。問題は、差押え禁止の範囲を超えてどの程度差押えが許されるのかである。法律で大枠を定めて、具体的には諸般の事情を考慮して裁判所が決めるというように、裁判所の裁量に委ねてもよいと思う。 なおこのような優遇が受けられる請求権について、子の養育費など一定の少額定期給付請求権と定義されているが、これで十分なのか、法文においてより具体的な内容にするかは検討されなければならない。具体的な請求権の内容や少額の基準については法律で規定することはないが、政令、規則に委任するなどの方法でるべきである。、疑義が生じないように努め3 その他(1) 一般先取特権の実行等 一般先取特権の実行等を容易にする観点から、 その実行等に必要とされている担保権の「存在を 証する文書」(民事執行法一八﹈条一項四号、一 九三条等)につき、その内容を明確にする等の見 直しをするかどうかについて、なお検討する。〈結 論〉 見直しは必要ない。〈理 由〉 担保権の「存在を証する文書」(民事執行法一八一条一項四号、一九三条等)の内容について見直すことによって、一般先取特権の権利としての実効性をより確保すべきであるとする意見は理解できるし、説得力がある。しかし、「存在を証する文書」を法定化することによって手続の運115法学研究75巻12号(2002:12)用が画一的で硬直化するおそれがあるように思う。すなわち、保護すべき者が保護されない事態が生じることをおそれる。そもそもこの種の文書は法定化することが困難であるから、そのことを考えるならば、無理に法定化するよりも状況に応じて弾力的に対応していく方がよいと思う。(2) 動産競売(民事執行法﹇九〇条関係) 動産担保権の実行としての競売につき、執行官 に対して目的動産を提出し、又は占有者の差押承 諾文書を提出することができない場合(民事執行 法一九〇条参照)であっても、一定の文書を提出 した場合には、執行官が債務者の住居等を捜索し て目的動産を差し押さえることにより手続を開始 することができるものとするかどうかについて、 なお検討する。 (注) 』定の文書」については、動産担保権 の存在を証する確定判決、公正証書等(民 事執行法一八一条一項一号、二号参照)と する考え方と、動産担保権の存在を証する 文書(同項四号参照)とする考え方があり、 後者の考え方に立つ場合には、提出された文書による証明の有無につき何らかの方法で執行裁判所の判断を経ることとする必要がある。〈結 論〉 提案のような差押えに賛成である。〈理 由〉 権利はその内容が実現されなければならないから、権利の実効性を確保するために、現実的でより効率的な執行手続が求められる。ところで非占有動産の執行に関して、現行法は直接の規定を有せず、動産執行に関しては執行官の占有を前提にした手続で対応している。これでは非占有動産の執行手続としては、不十分である。提案は執行官が目的動産を占有するための手続を定めたものであり、これによって現行法の不備を補うことができると思う。(3) 差押禁止財産(ア) 標準的な世帯の必要生計費の推移等を踏まえて、「政令で定める額」(民事執行法一三一条三号、一五二条一項)の見直しを行うものとする。116「担保・執行法制の見直しに関する要綱中間試案」の執行法制に関する事項についての意見(イ) その他、差押禁止財産の範囲等の見直しをするかどうかについて、なお検討する。〈結 論〉 見直しに賛成である。〈理 由〉 社会は常に動いている。したがってそのような社会の動きや社会の実情に応じて、差押禁止物の内容は見直しが必要である。それによって法の趣旨が生かされることになるからである。問題はいつ、どのようにそれを行うかである。毎年、行うことはないにしても、見直しの時期が恣意的になされるのも公平を欠くように思う。そこで立法者に一定の期間ごとに(例えば五年ごとに)、あるいは必要生計費のような場含は、客観的な経済指標(数値)の変動を基準に見直すことを義務づけることを考えてもよいのではないかと思う。(4) 不動産競売に関するその他の見直し(ア) 物件明細書を一般の閲覧に供する方法につき、執行裁判所に備え置く方法(民事執行法六二条)に代えて、インターネットを利用して閲覧に供する方法によることができるものとする。〈結 論〉 賛成である。〈理 由〉 今日の社会では通信手段の発達は目覚ましいものがある。このような状況において、執行手続はそれを無視して旧態依然のままでよいというものではない。社会の発展に即応しない手続は合理性と妥当性を欠き、制度の存在の意味が説明できなくなるからである。そのようなことから、インターネットは執行手続においても積極的に取り入れて活用すべきである。ただし、導入に先立って、インターネットを利用できない者に対してはどのように配慮すべきかということと、インターネットに不正に侵入する者をどのように排除するかといった安全性の問題は十分に検討されなければならない。もちろんこれらの問題の解決は可能であるから、最良の解決策を模索すべきであって、これらの問題の存在をもってインターネットの導入が躊躇されることがあってはならない。ll7法学研究75巻12号(2002:12)(イ) その他、不動産競売手続の迅速化・円滑化等を図るために見直すべき点について、なお検討する。 (注) 例えば、最低売却価額の制度の在り方 や競売物件の暇疵担保責任の在り方につ いて見直しをすべきであるとの意見があ る。また、配当異議の申出等があった場 合における差引納付に係る代金の納付時 期(民執法七八条四項)につき「直ち に」とあるのをコ週間以内に」などと 改めるべきである等の意見がある。〈結 論〉 個々の問題点について早急に検討すべきである。その結果は直ちに法の改正や制度の運営に生かされなければならない。〈理 由〉 最低売却価格の制度の見直し案はもっともな面があるが、現状を考えると時期尚早と考える。当分の間は現行制度の運用の改善で対処すべきであると思う。売却物件の鍛疵担保責任の在り方として民法五七〇条ただし書を削除すべきであるとの意見があるが、競売手続の安定という点で直ちに賛成できない。確かに不動産の売却手続を実際の取引に近付ける努力が必要ではあるが、競売手続の安定が考慮されねばならないと考える。したがって、競売後に問題になるような綴疵はできるだけ事前に発見できるような手続を考えるべきである。 配当手続において配当異議の申出等があった場合における差引納付に係る代金の納付時期(民事執行法七八条四項)について、「直ちに」を』週間以内に」と改める意見があるが、この意見に賛成である。期限が明確になるのと、債権者(買受人)の資金の準備を容易にするからである。 なおその他種々な意見が報じられているが、執行の実効性確保のために、社会の実情に応じて適切な対応がとれるように、新たな制度や規定を設けるべきである。執行手続は実情に応じて弾力的に運用されなければならないが、解釈や裁量によってそれを行うことは自ずと限界があるから、必要な規定は躊躇することなく立法によって整備すべきである。118「担保・執行法制の見直しに関する要綱中問試案」の執行法制に関する事項についての意見(5) その他 その他、民事執行に関して執行裁判所の権限と されている事項のうち一定のものを裁判所書記官 の権限とするかどうか、執行官が警察上の援助 (民事執行法六条一項)に限らず官庁等に対して 直接援助を求めることができるものとするかどう かなど、権利実現の実効性をよリ一層高めるため の民事執行制度の全般に関する問題につき、なお 検討する。〈結 論〉 提案のような改革に賛成である。〈理 由〉 社会の変化に併せて執行手続も見直しが必要である。民事執行法の制定からすでに二〇年以上経過し、その間に社会状況も大きく変化し、民事執行法周辺の法制度も制定当時とかなり異なったものになった。このようなことを考えると、民事執行制度の全般について検討や見直しが必要である。問題点を洗い出して、問題の改善に制度の改革が必要ならば、早急にそれに対応した法の改正を行うべきである。 このようなことと関連して、執行裁判所の権限とされている事項の一部を裁判所書記官に移すべしとの意見がある。裁判所書記官の権限が強化されている最近の立法の流れを考えると、賛成である。問題は委譲すべき権限であり、裁判所書記官が処理すべき事項である。一応の目安として定型的に処理できて、軽微な事項ということになろう。当然のことであるが、権限の委譲に当たっては裁判所書記官の資質が問題になるから、裁判所書記官の研修は強化されなければならない。また権限が濫用されないことと、間違った場合の是正手続も考えておかなければならない。かような環境の整備なしに直ちに権限の委譲は問題があるが、裁判所書記官の権限の強化は積極的に推進すべきである。裁判所書記官の質を高めるとともに、その地位の向上に結び付くし、裁判官の仕事が軽減されることによって、裁判官がより困難な問題に専念できるというメリットがあるからである。 執行官が執行に際して警察以外の官庁等に援助を要請することができるようにするという意見があるが、賛成である。執行官は執行を機動的に行うべきであるから、そのために警察以外の官庁の援助が必要ならば、当該官庁の援助119法学研究75巻12号(2002:12)が得られるように法を整備すべきである。官庁の援助を積極的に活用できるようにしたとしても不都合なことはないし、そもそも警察の援助に限定する合理性はない。120