217開放的アナーキーとしての破綻国家に対する軍事介入―レバノン内戦におけるシリアとイスラエルの侵攻―矢吹 弘孝(宮岡研究会4 年)はじめにⅠ 先行研究の批判的考察1  研究テーマ:国家破綻と国際政治2  ヴィンチ「アナーキー・破綻国家・武装勢力」(2008年)の要旨3  先行研究の批評と問いの設定Ⅱ 分析枠組みの構築1  問いの理論的検討2  理論と仮説の導出3  研究方法Ⅲ 事例研究:レバノン内戦1  レバノン内戦の概要2  シリアのレバノン侵攻(1976年)3  イスラエルのレバノン侵攻(1982年)おわりにはじめにクラウゼヴィッツ(Karl von Clausewitz)の「戦争においては、一方では情報や予測がすべて不確実であり、また他方では偶然が不断に介入する(後略)」1)という言葉のとおり、武力紛争は往々にして不確実性を帯びている。そして、これは派生的な含意だが、この不確実性は新たな問題をおびき寄せてきた。紛争が長期化するなかで当初は意想外であった問題が顕現し、その様相が大きく様変わりす218 政治学研究57号(2017)るといった事象は幾多も存在する。大セルビア主義にもとづく反ハプスブルク運動の文脈で生じたサラエボ事件が第一次世界大戦へと発展し2)、結果としてオーストリア・ハンガリーのみならずドイツ、ロシア、オスマンの諸帝国を解体に至らしめたことはその一例だ3)。力の空白は不確実性の泉源であり、紛争の複雑化の要因となる。現在、イラク、シリア、イエメンなどで「イラク・レバントのイスラム国」(以下、ISIL)は多かれ少なかれ無秩序状態を享受している。それは、イラン、サウジアラビア、トルコが、自らが政治的優位を占められる場合においてこそ、それらの国々における事態の収束を望んでいるからだ4)。ある国における力の空白は無秩序状態そのものばかりか、招かれざるトランスナショナルな暴力的非国家主体や、その国に隣接する国々の思惑をも招来するのである。内戦状態に陥り、破綻国家と化した中東の国々においてISIL が跋扈し、これを巡って隣接諸国が代理戦争を繰り広げている現状をかんがみるに、破綻国家の存在が周囲の国家間関係を不安定にするという事象は国際政治、安全保障の研究領域において看過できないものとなっている。このような背景が本稿における問題意識の端緒なのだが、本稿では目下進行中の紛争について性急な考察を加えることはせず、破綻国家と周囲の国家間関係への影響を簡潔に表す事象として、破綻国家に対する軍事介入に焦点を当てる。そして、そこから導き出される含意と、目下進行中の紛争との関連について考察したい。本稿では、「破綻国家に対する軍事介入はなぜ行われるのか」という問いを立てる。そして、この問いに対する本稿の主張は、「開放的アナーキー(openanarchy)たる破綻国家に隣接する国どうしの安全保障ジレンマが軍事介入を引き起こす」というものである。この主張を検証するため、本稿ではレバノン内戦(1975‒1990年)におけるシリアの侵攻(1976年)とイスラエルの侵攻(1982年)を対象とした事例研究を行う。その際、主張に説得力をもたせるべく、レバノン内戦に政策決定者として関与した米国のキッシンジャー(Henry Kissinger)国務長官とイスラエルのラビン(Yitzhak Rabin)首相の回顧録を一次資料として活用する。また、安全保障ジレンマの有無を評価するにあたって必要なイスラエルとシリアの兵力態勢などを推定するため、イスラエルのヘルツォーグ(Chaim Herzog)大統領が著したものをはじめとする、中東戦争に関する文献を参照する。本稿の構成は次のとおりである。まず第Ⅰ章で本稿の研究テーマを明らかにし、これと関連する先行研究の要旨をまとめ、その問題点を批評して本稿における問219いを設定する。第Ⅱ章では問いと関連する諸概念について概説し、問いに対する理論仮説を設定し、これを検証するための研究方法を提示する。第Ⅲ章ではレバノン内戦におけるシリアの侵攻とイスラエルの侵攻を事例として、それぞれの事例における作業仮説を提示し、その検証にあたる。Ⅰ 先行研究の批判的考察本章では、研究をはじめるにあたって本稿における先行研究を設定し、これに批判的考察を加える。第1 節では本稿の研究テーマについて概説し、第2 節では同テーマに関連する先行研究の要旨をまとめる。第3 節では先行研究の問題点を批評し、本稿の問いを設定する。1  研究テーマ:国家破綻と国際政治従来の内戦研究の多くは、専ら国家間戦争と比較した際の特異性に重点を置く傾向があったように思われる5)。そのためか、内戦を国際政治と切り離された文脈で考察する研究は多く6)、なかには内戦状態にあっても国家の領域は絶対的であるという暗黙の前提を置くものもある7)。グレディッシュ(Kristian Gleditsch)は、内戦の深刻化や終結において専ら国内に固有な事情を強調する研究が「閉じられた政体(closed polity)」の仮定に立っていると指摘し、 それらの研究が導き出す結論は不十分もしくは誤解を招きうると警鐘を鳴らしている8)。またヴィンチ(Anthony Vinci)は「閉鎖的アナーキー(“closed” anarchic system)」という概念を用いて、内戦を国内的な無政府状態すなわちアナーキーにもとづくものと仮定している研究が、そのアナーキーを国際政治におけるそれと明確に峻別している様子を書き表している9)。内戦状態にある国家の領域に関してどのような認識に立つべきか、言い換えればその国家性(statehood)をどう評価すべきかが、内戦研究の領域において議論を呼んでいる。この議論に有益な示唆をもたらす研究分野が、破綻国家に関するそれである。国家が国民に対して正常に財やサービスを提供できなくなる国家破綻の概念は、国内的なアナーキーの招来と矛盾なく整合するものだ。そして、内戦状態にある国家の領域をめぐる認識は、そのアナーキーが対内的なものにとどまるか、あるいは対外的なアナーキーとも連接するかの二者に大別することができる10)。今日、破綻国家はテロリズム、組織犯罪、難民問題、人口移動、人身取引といった非伝220 政治学研究57号(2017)統的な安全保障問題の要因としても注目されている11)。ただ、かくも重要視されている一方で、破綻国家は問題の多い概念でもある。ある国が破綻国家であると論ずる場合、その前提として国家の正常な状態を定義しておく必要があり、その際半ば必然的に、理念型としての国家が参照されるからだ12)。法的に承認されている国家のなかでも、政治学の想定する国家性の要件を満たさないものは多い13)。比較政治学の視座からは、ヨーロッパにおける国民国家の形成が何世紀もの蓄積を有しているのに対し、脱植民地化を経た国々は相当に短い期間でそれを強いられたため、個々の国家の頑健性には経路依存的な差異が不可避的に生じるものだという指摘がなされるだろう14)。このように、正常な国家が何たるかを定義し、それから逸脱するものを破綻国家と評価することには批判が少なからず存在する。しかし、国際政治学の視座は、破綻国家を専らある地域の国家間関係を不安定化する力の空白の主体として想定し、国家を極力斉一的に扱うことを要求するだろうと推察される。したがって、破綻国家とされる国の領域が主にウォルツ(Kenneth Waltz)のいうところのアナーキーと連なるものか否かを主な関心に置くこともまた、新たな意義を創出すると考えられる15)。2  ヴィンチ「アナーキー・破綻国家・武装勢力」(2008年)の要旨本節では、破綻国家に対する軍事介入について論じている、ヴィンチによる先行研究「アナーキー・破綻国家・武装勢力」(2008)を紹介し、その要旨をまとめる。ヴィンチの研究は、アナーキーや安全保障ジレンマといった概念を援用しつつも国内外の政治構造を峻別してきた従来の研究と一線を画し、国家破綻によって生じたアナーキーは国際政治におけるそれと連接していると主張する16)。ヴィンチは国家からの干渉を受けず、経済的かつ政治的に自律した武装勢力の存在感が顕著になっていることに着目し17)、従来のネオリアリストがそれらの存在を無視していることを問題視した18)。また、内戦を国内的なアナーキーによるものとしながら、そのアナーキーを国際政治の前提としてのアナーキーと峻別し、暗黙のうちに破綻国家の領域を絶対視してきた諸研究が閉鎖的アナーキーの仮定に立っていると指摘している19)。これらの問題意識を踏まえ、ヴィンチは破綻国家と国際政治の両領域において同一のアナーキーが展開されているとする、開放的アナーキーの立場をとる。ヴィンチは、法的に承認された国家の領域をただちに階層的権力の定着したハ221イラーキーとは評価せず、国家が実効的に統治している範囲においてのみハイラーキーが確立されているとした20)。したがって、破綻国家はその法的に承認された領域のすべてもしくは一部においてアナーキーであり21)、そこでは武装勢力が容易に台頭して国家の統治を代替するか、国内において国家の主権と武装勢力の有する経験的な主権(empirical sovereignty)が併存すると論じた22)。端的に述べると、ヴィンチは破綻国家の領域のなかでもアナーキーに陥った地域において、武装勢力がハイラーキーを再生産すると主張しているのである。このように、経験的な主権を獲得した武装勢力は国際政治のアクターとして国家に準ずる行動をとるとされるのだが、ヴィンチはこれに伴って混合的な安全保障ジレンマ(mixed security dilemma)が生じうると主張している。これは、経験的な主権を有する武装勢力が( 1 )自らが拠点を置く国家、( 2 )同国家に同じく拠点を置く武装勢力、( 3 )自らが拠点を置かない国家(外国)、( 4 )外国に拠点を置く武装勢力とのあいだで安全保障ジレンマを引き起こす可能性があるということだ23)。とくに( 3 )は破綻国家に対する軍事介入を惹起する可能性が高く、ヴィンチはリベリアに対する隣接諸国の侵攻や、エチオピアのソマリア侵攻をその例として挙げている24)。以上の考察から、ヴィンチは経験的な主権を有するすべての主体を国際政治のアクターとして考慮に入れるべきだと主張している。彼は、グローバル化した世界秩序における国家の地位の相対化を唱える「新しい中世(neomedievalism)」のような概念が、法的な主権と経験的な主権とを混同している可能性を示唆しており25)、国際政治構造を法的に画定された国境ではなく、実効的な境界に沿って観察する必要性を強調している26)。3  先行研究の批評と問いの設定ヴィンチによる開放的アナーキーの提唱は、破綻国家に対する軍事介入の要因について相当に示唆を与えるものである。ウォルツの提示した「3 つのイメージ」を援用するならば、開放的アナーキーの招来とはそれまで「第2 イメージ」に位置づけられていた諸集団が国家による実効的支配の消失に伴い、「第3 イメージ」へと繰り上がることを指す27)。しかし、ヴィンチの研究には本稿の問題意識に照らして補完すべき問題点がある。それは、ヴィンチがハイラーキーを司る主体として武装勢力の存在を強調するあまり、開放的アナーキーという概念の汎用性を狭めてしまっていることだ。222 政治学研究57号(2017)ヴィンチの論じている武装勢力によるハイラーキーの再生産は第2 イメージから第3 イメージへの繰り上げにあたる事象であり、その最も簡潔な事例である。ハイラーキーの内部で生息していた非国家主体たる武装勢力が、国家破綻とともに招来した開放的アナーキーのなかで国家に準ずる行動をとるようになり、他の国家と(アナーキーを前提に行動するアクターどうしという意味においては)やや対称な関係において対峙する余地さえ生じさせるからだ。混合的な安全保障ジレンマに関する記述とその事例から推察するに、ヴィンチの見いだす破綻国家への軍事介入とは専ら、破綻国家の領域にハイラーキーを確立した暴力的非国家主体と他の国家による闘争だ。他方でヴィンチの研究では、本稿が問題意識の端緒に置いているような、破綻国家をめぐる伝統的な国家間関係についての言及は見られない。軍事介入の事例であったリベリア内戦やソマリア内戦についても、それらの国々の周囲において国家間の緊張が存在し、軍事介入の背景となったかどうかは考察の対象外であった。破綻国家の周囲において緊張した国家間関係が認められない場合においては、ヴィンチのいう武装勢力によるハイラーキーの再生産が隣接する国家にとって最も深刻な安全保障上の脅威となりえよう。しかし、それが認められる場合においては、開放的アナーキー下の武装勢力を主とする暴力的非国家主体の存在感が後退し、それらの主体の第3 イメージにおける行動は専ら破綻国家をめぐって対立する国家との関係において規定される、と論ずることは妥当性を欠くものだろうか。つまり、ヴィンチの想定するそれとは異なり、破綻国家をめぐる国家どうしの衝突が存在し、武装勢力などの暴力的非国家主体がその文脈のなかに埋め込まれるという事例もまた、開放的アナーキー下においてありうるのではないかということが、本稿の問題意識に照らして補完する余地のある先行研究の問題点だと考える。以上の批評を踏まえ、本稿では次の事柄をあらためて問う。それは、「破綻国家に対する軍事介入はなぜ行われるのか」である。Ⅱ 分析枠組みの構築本章では第Ⅰ章にて設定された問いにもとづき、分析枠組みを構築する。第1節では問いに関連する諸理論について概説し、第2 節ではそれらを踏まえて問いに対する理論仮説を設定する。第3 節では仮説を検証するための研究方法を示す。223なお、問いに対する作業仮説は事例の内容と不可分であるため、次章にて示す。1  問いの理論的検討本節では第Ⅰ章にて設定された問いに関連する理論として、国際関係理論のなかでも国家間対立の説明に長じているネオリアリズムと、その議論において重要な位置を占める安全保障ジレンマを紹介し、概説する。リアリズムの潮流には国家間対立の成因を人間の本性にもとめる「邪悪学派(evil school)」と、アナーキカルな国際政治構造に見いだす「悲劇学派(tragedyschool)」の両派が存在するが28)、ネオリアリズムは後者の説明を司るものである。すなわち、国家間関係を統治する公権力の不在を背景としたアナーキーのなかで、国家が他国より大きな国力と安全を得ようとする自助の産物として国家間対立をとらえている29)。一方で、統治の主体が存在する国内政治はハイラーキカルな構造であるとして国際政治と明確に峻別され、その分析射程より外されている。ビリヤード・ボールの比喩に代表されるように、ネオリアリズムは国家間の相互作用をきわめて外形的に観察することを是としている30)。このような議論を受け、ヴィンチは、前述した国際政治構造としてのアナーキーが国家破綻に伴う国内的アナーキーと連接すると主張することで、破綻国家が周囲の国家間関係を不安定にするという事象の体系化を試みたといえよう。ネオリアリズムの潮流のなかで定式化された概念として、ヴィンチの先行研究でも援用された安全保障ジレンマがある31)。安全保障ジレンマとは「国家がその安全向上を試みるための諸手段は他国の安全を低下させる」32)という法則であり、ある国が自らの安全を確固たらしむべく行う軍事的活動などが他国の警戒を喚起してしまい、結果としてその国の安全を相対的に損ねてしまうという一連の過程を指す。敵対的な意図の不在にもかかわらず、国家間の緊張が高まる様子を描いた安全保障ジレンマは、悲劇学派のいう「悲劇」を端的に表しているといえよう。冷戦が終結すると、多民族国家であったソ連やユーゴスラビアの解体などを背景とする民族紛争が多発した。このような背景を反映したポーゼン(BarryPosen)の先駆的な研究にはじまり、ネオリアリズムと安全保障ジレンマは内戦研究においても応用されるようになるが33)、当初の研究は国内政治の領域におけるネオリアリズムの応用の可否に専ら焦点が当てられていたためか、前章で述べたような内戦と国際政治の関係性に関する議論が提起されるにはさらなる時間を要した。224 政治学研究57号(2017)本稿では安全保障ジレンマの有無を評価するため、ジャーヴィス(RobertJervis)の提示した指標を援用する。ジャーヴィスは安全保障ジレンマの有無を評価する指標として、「攻撃・防御バランス」と「攻撃・防御の識別可能性」の2 つを挙げている。前者は相手国の領域を奪取する容易さと自国の領域を維持する容易さの比較考量より導出されるもので、相手国の領域奪取がより容易である場合は「攻撃有利」、自国の領域維持がより容易である場合は「防御有利」となる34)。後者は、相手国の保有する兵器や採用している政策が攻撃目的のものか、あるいは防御目的のものかという識別の可否である。ジャーヴィスはこれらの指標の結果を組み合わせ、世界を4 つに分類している(図表1 )。これによれば、国家間対立の烈度は攻撃有利かつ攻撃・防御の識別が不可能な「第1 の世界」において最も高く、反対に防御有利かつ攻撃・防御の識別が可能な「第4 の世界」において最も低い35)。2  理論と仮説の導出本節では第Ⅰ章にて設定された問いに対し、前節で概説した諸理論を参考として理論仮説を設定する。また、理論仮説において作業化が必要な諸概念についてはその作業定義を設定する。第Ⅰ章で設定された問いは、「破綻国家に対する軍事介入はなぜ行われるのか」であったが、これに対して、まずは次の理論仮説を設定する。それは、「開放的アナーキーたる破綻国家に隣接する国どうしの安全保障ジレンマが軍事介入を引き起こす」というものだ。この仮説の検証が本稿における第一義的な関心なのだが、隣接国による軍事介入に関して、存在するすべての隣接国が軍事介入に及ぶ図表1  ジャーヴィスによる「4 つの世界」の分類と安全保障ジレンマの程度攻撃有利防御有利攻撃・防御の識別が不可能1二重に危険2安全保障ジレンマあり(安全保障上の要求と両立可能)攻撃・防御の識別が可能3安全保障ジレンマなし(警戒が必要)4二重に安定出所:Robert Jervis, “Cooperation Under the Security Dilemma,” World Politics 30, no. 2 (January1978): 211を基に筆者作成。225のか(あるいは軍事介入を実施しない隣接国も存在するのか)という疑問が生じる。そこで、仮説に隣接国による軍事介入の類型を司る次の条件変数を加える。それは、「隣接国どうしによる事前合意の有無」である。隣接国のあいだで相互の安全保障を尊重する事前合意が存在する場合、軍事介入を行う隣接国の数は限定されるが、そのような事前合意が存在しない場合、すべての隣接国が軍事介入に及ぶと考えられる。なお、本稿では便宜的に、隣接国が2 ヵ国存在する場合を想定して考察を行う。以上より、本稿における理論仮説を「開放的アナーキーたる破綻国家に隣接する国どうしの安全保障ジレンマが生じている際、隣接国どうしによる事前合意が存在すれば一方の隣接国が単独で軍事介入を行い、事前合意が存在しなければ双方の隣接国が軍事介入を行う」とする。仮説の独立変数は「破綻国家(開放的アナーキー)に隣接する国どうしの安全保障ジレンマの有無」、条件変数は「隣接国どうしによる事前合意の有無」、従属変数は「隣接国による軍事介入の有無と類型」である(図表2 )。また、本稿ではヴィンチの主張を参考に、次の対抗仮説を設定する。それは、「開放的アナーキーたる破綻国家に拠点を置く暴力的非国家主体とこれに隣接する国との安全保障ジレンマが軍事介入を引き起こす」というものである(図表3 )。本稿では事例研究を通して、この対抗仮説の棄却を試みる。安全保障ジレンマの有無は前節において紹介したジャーヴィスの指標から評価することとするが、ジャーヴィスによれば安全保障ジレンマは攻撃有利かつ攻撃・防御の識別が不可能な第1 の世界と、防御有利かつ防御の識別が不可能な第3 の世界の2 つの類型が存在する。本稿では、仮説において破綻国家に対する軍図表2  仮説のアローダイアグラム【独立変数】破綻国家(開放的アナーキー)に隣接する国どうしの安全保障ジレンマの有無【従属変数】隣接国による軍事介入の有無と類型(一方/双方)【条件変数】隣接国どうしによる事前合意の有無出所:筆者作成。226 政治学研究57号(2017)事介入という烈度の高い変化を従属変数としているため、攻撃・防御バランスにおける攻撃有利の条件を重視し、主に隣接国どうしの関係が攻撃有利かつ攻撃・防御の識別が不可能な第1 の世界に該当する場合を安全保障ジレンマの状態として評価する。攻撃・防御バランスは相手国の領域を奪取する容易さと自国の領域を維持する容易さの比較考量より導出されるものだが、それは彼我の保有する兵器などの技術的条件と、地理的条件によって推定できるとされる36)。技術的条件については、グレイザー(Charles Glaser)とカウフマン(Chaim Kaufmann)が機動力と火力を主な判断材料として挙げており、概ね前者が攻撃有利、後者が防御有利をもたらすと述べている37)。地理的条件とはすなわち距離や地形などである。たとえば、相手国との距離が遠いほど戦力投射能力は脆弱となり、攻撃のコストが防御のコストを上回るため、防御有利な条件をもたらすのだ38)。なお、ジャーヴィスは「攻撃不利」と「防御不利」に関する考察を行っていないが、本稿では攻撃不利を相対的な防御有利、防御不利を相対的な攻撃有利の状態にあると評価する。攻撃・防御の識別可能性は前節で述べたように、相手国の保有する兵器や採用している政策から推定されるものである。条件変数にある、隣接国どうしによる事前合意は、軍事介入を意図する一方の隣接国が他方の隣接国の安全保障に配慮し、よってその軍事介入を抑制する目的で事前に使用する兵器や兵力態勢を限定するものである。これが他方の隣接国に受け入れられて効力をもつ場合、軍事介入は一方の隣接国のみが行う。反対に、事前合意が存在しない、もしくは無効化すると、抑制を受け入れていた他方の隣接国も軍事介入に及ぶ。このような事前合意の存在は攻撃・防御の識別を一定程度可能ならしめ、安全保障ジレンマを緩和させる役割をもつと考えられる。図表3  対抗仮説のアローダイアグラム【独立変数】破綻国家(開放的アナーキー)に拠点を置く暴力的的非国家主体とこれに隣接する国との安全保障ジレンマの有無【従属変数】隣接国による軍事介入の有無出所:筆者作成。2273  研究方法本節では、前節で設定した理論仮説を検証するための研究方法を提示する。安全保障ジレンマの有無を評価するジャーヴィスの指標は、国家間関係における質的な側面に焦点を当てるものである。したがって、本稿では仮説検証の手法として事例研究を用いることとし、具体的には内戦中のレバノンにおけるシリアの侵攻とイスラエルの侵攻の2 事例を扱う。検証に用いる事例としてレバノン内戦を選択した根拠には、内戦中のレバノンが破綻国家であったとする説明が見られ39)、かつ隣接する国として相互に対立するイスラエルとシリアが存在していたことが挙げられる。それまでのレバノンはいわば両国の緩衝国家として機能していたが、ひとたびその領域が国家破綻を生じて開放的アナーキーと化したことで、レバノンはイスラエルとシリアにとって事実上の覇権戦争の場となったといえよう40)。このような事象は、破綻国家が周囲の国家間関係を不安定にするという、本稿における問題意識に対応するものである。まず、隣接国どうしの安全保障ジレンマが生じているが、事前合意の存在することで一方の隣接国が単独で軍事介入を行った事例として、シリアの侵攻をとりあげる。次に、仮説における各変数の共変関係を検証するため、隣接国どうしの安全保障ジレンマが生じており、かつ事前合意が無効化したことで双方の隣接国が軍事介入を行った事例として、イスラエルの侵攻をとりあげる。また本稿では、ヴィンチの主張を参考に設定した「開放的アナーキーたる破綻国家に拠点を置く暴力的非国家主体とこれに隣接する国との安全保障ジレンマが軍事介入を引き起こす」という対抗仮説の棄却も視野に入れている。レバノン内戦においても、国家の統治に挑戦する暴力的非国家主体が複数登場するのだが、それらの暴力的非国家主体がヴィンチの研究において見られるほど自律的かどうかという点には疑問符がつく。それは、対立関係にあるイスラエルとシリアが隣接していたことから、レバノン内戦の当事者たるそれぞれの暴力的非国家主体がいずれかの隣接国と糾合していたからだ41)。開放的アナーキーたる破綻国家における暴力的非国家主体はときとして国家間対立の文脈に埋め込まれるようにして行動するのであり、常に自律的で、単体で国家と安全保障ジレンマを引き起こすにたる存在とはかぎらないという含意を論証することも、本稿では予定している。228 政治学研究57号(2017)Ⅲ 事例研究:レバノン内戦本章では第Ⅱ章にて導出された仮説を、レバノン内戦を事例として検証する。第1 節ではレバノン内戦について概観し、第2 節と第3 節では直接の事例となるシリアによる侵攻とイスラエルによる侵攻についてそれぞれ考察を行う。なお、第1 節が各事例における従属変数の提示を担うため、第2 節と第3 節は専ら独立変数の考察に充てるものとする。1  レバノン内戦の概要レバノン内戦は、多宗派国家であったレバノンに「パレスチナ解放機構」(以下、PLO)が流入し、宗派間の均衡を崩壊させたことに端を発する内戦である。レバノン内戦とは1975年から1990年にかけて断続的に発生した紛争の総称であるが、その戦況推移の区分は文献によってまちまちである。本稿では破綻国家への隣接国による軍事介入に焦点を当てるため、戦況推移を( 1 )1975年の内戦勃発から1976年のシリアによる侵攻(以下、シリア侵攻)、( 2 )1976年のシリア軍駐留開始から1982年のイスラエルによる侵攻(以下、イスラエル侵攻)の2 つに区分して概観する42)。( 1 ) 内戦勃発からシリア侵攻まで(1975-1976年)国内に17の宗派を擁するレバノンは、各宗派に政治権力を配分することで宗派間の均衡を維持してきた43)。しかし、1970年よりPLO とこれが帯同する大量のパレスチナ難民がレバノンに流入し、政治的優位にあったキリスト教マロン派は警戒を強めていた44)。そして、1975年4 月13日にマロン派の民兵集団とPLO が首都ベイルート市内で衝突したことを発端として、キリスト教徒勢力(以下、右派勢力)とPLO、そして政治的劣位に置かれてPLO と糾合したイスラム教徒勢力(以下、左派勢力)による内戦が勃発する45)。シリアは自らが傘下に収めるパレスチナ・ゲリラ「サイカ(Sa’iqa)」をレバノンに投入し46)、左派勢力の優勢を背景に事態収拾を図る手筈を整えていたが47)、やがてPLO やイスラム教ドルーズ派による先鋭的な運動を警戒するようになる48)。結局、シリアは左派勢力の排除に転じ、1976年6 月にレバノンを侵攻する49)。229( 2 ) シリア軍駐留開始からイスラエル侵攻まで(1976-1982年)1975年より行われていた紛争は、サウジアラビアの首都リヤドで行われたアラブ諸国による首脳会議で正式にその終結が宣言された。そして、シリア軍は同会議で創設が決定された「アラブ抑止軍(ADF)」の主力部隊に位置づけられ、レバノンの秩序回復を名目に公然と駐留することとなる50)。PLO らの先鋭化を受け、シリアは右派勢力の支援を当面の方針としていた。しかし、第三次中東戦争以来シナイ半島を占領されていたエジプトとイスラエルの講和が現実味を帯びはじめ、また右派勢力がイスラエルの支援を糧に再起を図りつつあったことから、今度は右派勢力の排除に踏み切る51)。こうしたなか、1982年6 月3 日にロンドンで駐英イスラエル大使がPLO の分派組織「アブ・ニダル組織(ANO)」に銃撃される暗殺未遂事件が発生し52)、これをPLO の犯行と断じたイスラエルはレバノンからPLO とシリア軍の脅威を排除すべく、同月6 日にレバノンを侵攻する53)。この侵攻を経てPLO は本部をチュニジアに移転し、パレスチナ・ゲリラも近隣諸国に引きとられた54)。2  シリアのレバノン侵攻(1976年)本節では、1976年のシリア侵攻を事例として仮説を検証する。本節における作業仮説は、「破綻国家であるレバノンに隣接するイスラエルとシリアのあいだで安全保障ジレンマが生じ、両国のあいだで事前合意が存在する場合、隣接国であるシリアが単独でレバノンを侵攻する」となる。なお、事前合意については次節で詳述する。また、レバノンをめぐる最初の安全保障ジレンマが生じた時点においては、いずれの隣接国も軍事介入を行っていないため、安全保障ジレンマの評価において双方の保有する兵器や兵力態勢を考慮することは困難となる。したがって、攻撃・防御バランスは地理的条件、攻撃・防御の識別可能性は政策のみによって推定する。( 1 ) レバノンにおける開放的アナーキーの招来PLO のレバノン移転を容易ならしめ、さらにはレバノンを国家破綻に至らしめた主な要因として、1969年に調印された「カイロ協定」が挙げられる。これは、レバノン国内にパレスチナ・ゲリラが無制限に出入りできる地域を設定することを認めるもので、事実上、レバノンの対内的主権を相対化させるものであった55)。パレスチナ・ゲリラの出入りが無制限に認められた地域は「ファタハ・ランド」230 政治学研究57号(2017)と呼称され、レバノン当局の干渉できない二重権力構造を生み出した56)。レバノンがそれまでヴェーバーの唱えるところの国家性の要件を充足していたと仮定しても、ファタハ・ランドの出現がそれを欠損させたといえよう。内戦勃発に伴い、レバノンの領域はさらなる相対化に直面する。宗派間の均衡が崩れ、レバノン社会が各宗派にわかれて相次いで武装したからだ57)。それはすなわち、多くの宗派集団が物理的暴力の独占を軍や警察に委ねてハイラーキーとしての社会分業を受け入れることを止め、民兵集団という物理的暴力の側面においては自己完結性の高い類似のユニットとして群立するアナーキーを生じさせたことを意味する。そして、物理的暴力の独占が失われ、軍や警察の権威が著しく相対化したレバノンにおいて、右派勢力と左派勢力の各ユニット群はそれぞれ、より強力なユニットであるイスラエルやシリアと連動するようになる。以上より、内戦に伴い破綻国家と化したレバノンの領域は、内外のいずれにおいても相対化された開放的アナーキーであったといえる。( 2 ) 攻撃・防御バランスイスラエルは、北からの地政学的な脅威に対して脆弱であるとされる58)。イスラエルはエジプト、シリア、レバノン、ヨルダンの4 ヵ国と隣接しているが、その南西に位置するエジプトとはシナイ半島を隔てており、南東に位置するヨルダンとの緩衝はヨルダン川から最南端の都市エイラートにかけての砂漠がその役割を担っている59)。したがって、イスラエルはそれらの方面からの脅威に対して地理的に防御有利であるといえよう。これに対し、シリアとレバノンからの脅威は相対的に深刻である。とくに、イスラエルはレバノンとのあいだに天然の緩衝物をほとんど有さず60)、そのレバノンにシリア軍が展開することは看過しがたい脅威であった61)。事実、イスラエルはレバノン内戦におけるシリアの関与に対して警戒感を露わにし、当時首相の職にあったラビンは後に次のように記している。「(前略)もしシリア軍が南レバノンを占領すれば、それを追い出すためにイスラエルは実際行動をとらねばならない。イスラエルは、シリアの軍隊が二カ所もの国境に沿って駐留するのを許すわけにはいかないのだ!」62)またラビンは1976年1 月に、米国のフォード(GeraldFord)大統領に対し、シリア軍がサイカに続いてレバノンに展開した場合、イスラエルの国境から約30km のリタニ川まで軍を進攻させる意向を伝えている(図表4 )63)。このレバノン南部を横切るリタニ川が、イスラエルとレバノンを隔て231いて、自らが戦略レベルにおいて防御的姿勢をとっており、領土的野心と無縁である旨を明記しているが66)、事実として4 度の中東戦争におけるイスラエルの行動は自助の域を出るものではない。第一次、第四次中東戦争においてイスラエルは防戦を強いられており67)、イスラエルが先制攻撃に及んだ第二次、第三次中東戦争では、紅海に通ずるチラン海峡における航行の自由の問題が共通する背景であった68)。このように、イスラエルはアラブ諸国の敵対行為に対する報復を通じて防御と抑止を確立させており69)、そのイスラエルによる外国領土の占領は、前節において述べたような独自の緩衝地帯の設定としての意図を帯びている場合が多い70)。しかし、かかる行動がイスラエルと敵対する国家に攻撃的姿勢として受け止められることは不可避的であった71)。一方、シリアはイスラエル国家の存続をイデオロギー的に容認しえない汎アラブ主義の潮流を汲む「バアス党(Ba’ath Party)」の統治下にあったが72)、アサド(Hafez al-Assad)大統領就任以降のシリアの意図したところはイスラエルとの勢力均衡であった。これを達成すべく、シリアはレバノン、ヨルダン、パレスチナ人といった、自らより弱小な近隣のアラブ国家等に対する覇権を志向するようになる73)。この過程で、レバノンが自らの影響下にあることは重要であり、シリア図表4  レバノンと隣接諸国30 km20 miⓒ d-maps.comトリポリリタニ川イスラエルシリアレバノン地中海ベイルートシドンベッカー高原ゴラン高原出所:“Lebanon: boundaries, hydrography,main cities,” d-maps.com, 2016, http://www.d-maps.com/car te.php?num_car=15330 &lang=en, accessed December23, 2016を筆者加工。る数少ない天然の緩衝物であり64)、前述したラビンの意向より推察するに、イスラエルもそれを認識していたといえよう65)。レバノンとの国境はイスラエルに何ら防御有利をもたらさず、イスラエルは必要に応じてレバノンを侵攻し、独自に緩衝地帯を設定しなければならなかった。このように、シリア軍の展開が危惧されるレバノンと対峙するイスラエルは地理的条件において防御不利であり、相対的に攻撃有利であったことがわかる。( 3 ) 攻撃・防御の識別可能性イスラエル軍はそのドクトリンにお232 政治学研究57号(2017)が内戦初期にサイカを投入して事態収拾の主導権を握ろうとした背景はここにある。しかし、シリアにレバノンのキリスト教徒優位の統治を完全に置き換える意図があったかどうかは定かでない。アサド政権下のシリアもレバノンと同様、少数派たるイスラム教アラウィー派を優位に置く統治を敷いたため、レバノンにおいて左派勢力が勝利すると、これに連動してシリアの少数支配に対する反乱を誘発する懸念があったからだ74)。そして何より、左派勢力を放置すれば、シリアがレバノンでPLO を煽動したとしてイスラエルが戦争に及ぶ危険があった75)。ゆえに、シリアは左派勢力の暴走を抑制する必要があったのだが、サイカのレバノン入国を確認したイスラエルは、これもまた本格的な敵対行動の兆候として受け止めていた76)。これより、イスラエルとシリアは相互の政策から攻撃・防御を識別することが不可能であった。以上の考察から、レバノンをめぐるイスラエルとシリアの関係は攻撃有利かつ攻撃・防御の識別が不可能な第1 の世界に該当し、最も烈度の高い安全保障ジレンマの状態にあったといえる。3  イスラエルのレバノン侵攻(1982年)本節では、1982年のイスラエル侵攻を事例として仮説における各変数の共変関係を検証する。本節における作業仮説は、「破綻国家であるレバノンに隣接するイスラエルとシリアのあいだで安全保障ジレンマが生じ、両国のあいだで事前合意が無効化すれば、シリアのみならずイスラエルもレバノンを侵攻する」となる。( 1 ) レッド・ラインの形骸化1983年にイスラエル大統領に就任するヘルツォーグは77)、イスラエル侵攻の前年にあたる1981年のレバノン情勢を次のように振り返っている。「(前略)シリアとイスラエルとの間にはいくつかの“暗黙の了解”事項があった。キリスト教徒が殲滅の危機に瀕していることは、イスラエルからみれば、シリアがそれを破ってしまったことを意味した」78)。この「暗黙の了解」とは、1976年に米国務長官と国家安全保障問題担当大統領補佐官を兼ねていたキッシンジャーが、元米国務次官補のブラウン(Dean Brown)特使による紛争当事者との協議内容をまとめてイスラエルとシリアに合意させた「レッド・ライン」である79)。キッシンジャーはレッド・ラインの詳細について次のように記している。233「(前略)イスラエルからの覚書によって内閣がシリアの介入において容認できない兵器や兵力の詳細が明らかになった。(中略)イスラエルはダマスカス・ベイルート街道の南に10km 離れた地域より先においてシリアの部隊が活動することを容認しなかった。これが、事実上、イスラエルとシリアがそれぞれの影響力の範囲を限定した、(中略)かの有名な『レッド・ライン』である」80)また、イスラエルがシリアの介入において容認できない兵器や兵力については、レバノン国内への1 個旅団以上の歩兵部隊の進駐81)、地対空ミサイル(以下、SAM)の配備、上空からの対地攻撃が禁じられたという82)。なお、ラビンはレッド・ラインを「(前略)シドンからレバノン・シリア国境まで東にまっすぐ走る線(後略)」83)であったと記しており、双方の認識が一致しているかどうか、定かではない。ただ、いずれにしても、レッド・ラインがイスラエルの安全保障に配慮した、緩衝地帯の設定を主旨とする事前合意であったことがわかる。シリアによる左派勢力の掃討がイスラエルの利害と一致したこともあり84)、介入の意図がレバノンの秩序回復であることが明確化されたことで、シリア単独でのレバノン侵攻が可能となった。しかし、イスラエルとシリアの利害一致はほどなくして瓦解に向かう。1977年に米国とイスラエルでなされた政権交代が、シリアをとり巻く情勢を急激に変化させたからだ。まず、1 月に米国で民主党のカーター(James Carter Jr.)大統領が登場し、中東和平の漸次達成を志向するキッシンジャーの外交方針を覆して包括的な中東和平構想を打ち出した。これに伴ってエジプトとイスラエルは和平に向けた協議に入り85)、イスラエルがその兵力をシナイ半島からシリア、レバノン方面へと集中できるようになることが時間の問題となった86)。また、5 月のイスラエル議会総選挙で、建国以来一貫して与党であった労働党がその座を修正主義シオニズムの潮流を汲む右派政党の「リクード(Likud)」に明け渡した87)。リクード政権はレバノンのキリスト教徒と中東における非イスラムの少数派からなる同盟を構想し、右派勢力を積極的に支援するようになる88)。こうした不利な情勢変化が重なるなか、シリアは1981年にレッド・ラインに違反し、右派勢力の拠点に対して攻撃ヘリコプターによる対地攻撃を行い、レバノン国内にSAM を配備する89)。レッド・ラインの形骸化をシリアの単独責任に帰することはできないが90)、この事案がイスラエルとシリアの緊張状態を決定づけたといえよう。234 政治学研究57号(2017)( 2 ) 攻撃・防御バランスシリアのSAM は2 つの山脈のあいだに広がるベッカー高原に配備され、リタニ川と標高717m の高地がイスラエル側からの接近を困難にしていた(図表4 )91)。SAM 自体が右派勢力を支援するイスラエルの活動に対する牽制としてイスラエルの警戒を喚起するものであったが、イスラエルを積極的に攻撃する性質のものではなく、前述の地理的条件に照らしても両国は防御有利たりえた。しかし、これにPLO がイスラエル北部を攻撃するために用いていた多連装ロケット砲(以下、MRL)が加わるかたちとなり92)、あたかもPLO がイスラエルに対する攻撃をシリア軍の庇護下で行っているかのような構図が生じた。このことからイスラエルは防御不利な状態に置かれ、相対的な攻撃有利の状態がもたらされた。( 3 ) 攻撃・防御の識別可能性シリアの配備したSAM は、主にイスラエルの軍用機がレバノン国内におけるシリア軍の活動を妨害することに対してコストを課す拒否的抑止だと考えられるが、同時にイスラエルがPLO のMRL を無力化することに対する拒否的抑止とも認識されうる。PLO のMRL は、実際にイスラエルに対する攻撃が継続的に行われてきたことから攻撃目的のものであることは自明だが、かかる行為が事実上、シリア軍の庇護下で行われていたことから、SAM が間接的に攻撃的意図を含んでいた可能性を完全には排除できない。したがって、シリアの配備したSAM における攻撃・防御の識別は不可能であった。図表5  事例研究における各変数の変化シリア侵攻(1976年) イスラエル侵攻(1982年)【独立変数】破綻国家(開放的アナーキー)に隣接する国どうしの安全保障ジレンマの有無◯安全保障ジレンマ防御不利(≒攻撃有利)攻撃・防御の識別不可能◯安全保障ジレンマ防御不利(≒攻撃有利)攻撃・防御の識別不可能【条件変数】隣接国どうしによる事前合意の有無◯事前合意レッド・ライン有効×事前合意レッド・ライン無効【従属変数】隣接国による軍事介入の有無と類型(一方/双方)◯一方による軍事介入レバノンへのシリア単独介入◯双方による軍事介入レバノン(シリア駐留中)へのイスラエル介入出所:本稿の事例研究を基に筆者作成。235以上の考察から、レッド・ラインの形骸化に伴い、イスラエルとシリアは攻撃有利かつ攻撃・防御の識別が不可能な第1 の世界に該当する安全保障ジレンマを生じたといえる。とくに、シリアがレッド・ラインに違反してレバノン国内にSAM を配備したことは、結果的にPLO の対イスラエル攻撃を庇護する動きと認識され、イスラエル侵攻の主な誘因となったと考えられる。おわりに最後に、第Ⅲ章にて明らかになった各仮説の検証結果を再整理し、そこから導出される理論的含意と政策的含意について述べる。また、今後の研究課題についても述べる。本稿の事例研究では、「開放的アナーキーたる破綻国家に隣接する国どうしの安全保障ジレンマが生じている際、隣接国どうしによる事前合意が存在すれば一方の隣接国が単独で軍事介入を行い、事前合意が存在しなければ双方の隣接国が軍事介入を行う」という仮説が、各変数の共変関係も含めて立証された。シリア侵攻の事例では、レバノンをめぐってシリアとイスラエルのあいだで安全保障ジレンマが生じていたが、レッド・ラインが有効であったことでシリア単独の軍事介入が行われた。他方で、イスラエル侵攻の事例では、両国のあいだで安全保障ジレンマが生じ、かつレッド・ラインが無効となったことから、イスラエルもまたシリア駐留中のレバノンに軍事介入した(図表5 )。また本稿では、ヴィンチによる先行研究を参考に、「破綻国家に拠点を置く暴力的非国家主体とこれに隣接する国との安全保障ジレンマが軍事介入を引き起こす」という対抗仮説を設定したが、本稿の選択した事例においては民兵集団たる暴力的非国家主体がより強力なユニット間関係と連動して行動しており、暴力的非国家主体それ自体は国家が安全保障ジレンマを惹起する対象とはなりえなかった。したがって、対抗仮説は妥当しない。イスラエルとシリアのいずれの隣接国とも糾合しなくなったPLO はイスラエル侵攻に伴ってレバノンから放逐され、チュニジアへの移転を余儀なくされた。その後、レバノンにおいてシリアの思惑と連動する新たな主体として「アマル運動(Amal Movement)」やヒズボラなどのシーア派勢力が台頭する93)。以上より、本稿の理論的含意として、破綻国家の周囲における国家間関係の不安定化は、隣接国どうしの安全保障ジレンマに起因するということがいえる。ま236 政治学研究57号(2017)た、本稿の冒頭の問題意識と関連させて政策的含意を提示するとすれば、たとえ破綻国家の領域に強大な暴力的非国家主体が身を横たえたとしても、その背景にある国家間関係にこそ注意を払う必要があるということだ。その暴力的非国家主体の生殺与奪は、国家どうしの関係に少なからず司られているからであり、破綻国家をめぐって対立する諸国家の協調を促すことが、開放的アナーキーをハイラーキーへと回復させる余地を生むからだ。なお、今後精査のなされるべき研究課題として、破綻国家の隣接国が1 ヵ国、もしくは3 ヵ国以上の場合における安全保障ジレンマや事前合意の様態、そして軍事介入を行う隣接国の組み合わせが挙げられる。また、開放的アナーキーにおける暴力的非国家主体と国家の質的差異についても研究を重ねる必要がある。1 ) クラウゼウィッツ『戦争論(上)』篠田英雄訳、岩波書店、1968年、92頁。2 ) Bruce Hoffman, Inside Terrorism, rev. ed. (Columbia University Press, 2006), 12-13.3 ) 臼杵陽『世界史の中のパレスチナ問題』講談社、2013年、172頁;細谷雄一『国際秩序―18世紀ヨーロッパから21世紀アジアへ』中央公論新社、2013年、189頁。4 ) 酒井啓子「モースル奪回間近―緊迫化するトルコとイランの代理戦争」『ニューズウィーク日本版』2016年10月17日、www.newsweekjapan.jp/sakai/2016/10/post-3_1.php、2016年12月12日アクセス。5 ) たとえば、ウォルター(Barbara Walter)は内戦の件数が国家間戦争を上回ることに不穏さを見いだすべき理由として、( 1 )内戦はしばしば長期化する、( 2 )決定的な軍事的勝利が望めないことから解決が困難となる、( 3 )講和成立後も新たな暴力を惹起する可能性がある、という点を挙げている。Barbara F. Walter,“Introduction,” in Civil Wars, Insecurity, and Intervention, eds. Barbara F. Walter andJack Snyder (Columbia University Press, 1999), 1.6 ) Kristian Skrede Gleditsch, “Transnational Dimensions of Civil War,” Journal ofPeace Research 44, no. 3 (May 2007): 294.7 ) Anthony Vinci, “Anarchy, Failed States, and Armed Groups: ReconsideringConventional Analysis,” International Studies Quarterly 52, no. 2 (June 2008): 296-297, 305.8 ) Gleditsch, “Transnational Dimensions of Civil War,” 294.9 ) Vinci, “Anarchy, Failed States, and Armed Groups,” 296-297, 305.10) 従来の研究も、国家がもはやヴェーバー(Max Weber)のいう「正当な物理的4 4 4 4 4 4暴力の独占4 4 4 4 4 を(実効的に)要求する」(傍点原文)ことがままならない内戦状態においては、その領域が対内的に相対化されるという仮定に異を唱えるものでないと推察できる。マックス・ヴェーバー『職業としての政治』脇圭平訳、岩波書237店、2015年、9 頁。11) Daniel Lambach and Tobias Debiel, “State Failure and State Building,” in RoutledgeHandbook of Security Studies, eds. Myriam Dunn Cavelty and Victor Mauer (London:Routledge, 2010), 163.12) たとえば、ベイカー(Pauline Baker)とオーシンク(John Ausink)は国家性の要件として( 1 )限定された領土における法的権力と実効的支配、( 2 )常住する人々のための集合的意思決定を行う権威、( 3 )正当な物理的暴力の独占、( 4 )同様の主体と公式な関係において対話する(もしくはその能力を有する)政府の存在を挙げている。Pauline H. Baker and John A. Ausink, “State Collapse andEthnic Violence: Toward a Predictive Motive,” Parameters 26, no. 1 (Spring 1996):22.13) Lambach and Debiel, “State Failure and State Building,” 166.14) Ibid., 160.15) ウォルツはアナーキーが「類似のユニットが相対峙することによって秩序づけられている」政治的秩序であり、「アナーキーにおいては、ユニットの類似性と能力によってユニット間の関係が決定され、それだけで完全に政治とパワーの領域が表現される」と述べている。ケネス・ウォルツ『国際政治の理論』河野勝、岡垣知子訳、勁草書房、2010年、151頁。16) Vinci, “Anarchy, Failed States, and Armed Groups,” 297.17) ヴィンチは例としてレバノンの「ヒズボラ(Hezbollah)」、ソマリアの「イスラム法廷連合(UIC)」、アフガニスタンの「タリバン(Taliban)」を挙げている。Ibid., 296.18) Ibid. なお、ネオリアリズムについては第Ⅱ章で詳述する。19) Ibid., 305.20) ウォルツはハイラーキーを「異なる仕事を専門とするユニット間の社会分業によって秩序づけられている」政治的秩序であると述べている。ウォルツ『国際政治の理論』151頁。21) ヴィンチは破綻国家を、アナーキーがその全域に及び、統治の存在しない「崩壊国家(collapsed state)」と、飽くまでも一部地域において統治が及ばない「分裂国家(fragmented state)」に分類した。Vinci, “Anarchy, Failed States, and ArmedGroups,” 298-299.22) 経験的な主権とは、合法性を問わない実効的な支配を意味する。ヴィンチは、国家が法的な主権と経験的な主権の両者を有しているのに対し、武装勢力は後者しか有していないという点で異なると述べている。Ibid., 303.23) Ibid., 310.24) Ibid., 310-311.25) ヴィンチは、新しい中世の概念が政治的秩序をアナーキーとハイラーキーに二分することは不可能だとする立場をとっている、と主張している。Ibid., 311-312.238 政治学研究57号(2017)26) Ibid., 297.27) ウォルツは戦争の因果関係を個人(第1 イメージ)、国家(第2 イメージ)、国際システム(第3 イメージ)の3 つの分析レベルに区別しており、とくに国際政治構造に注目する立場から第3 イメージを重視した。ジョセフ・S・ナイ・ジュニア、デイヴィッド・A・ウェルチ『国際紛争―理論と歴史』第9 版、田中明彦、村田晃嗣訳、有斐閣、2013年、68、77頁;ケネス・ウォルツ『人間・国家・戦争―国際政治の3 つのイメージ』渡邉昭夫、岡垣知子訳、勁草書房、2013年、22-23、216-217頁。28) 土山實男『安全保障の国際政治学―焦りと傲り』第2 版、有斐閣、2014年、109頁。29) 野口和彦「リアリズム」吉川直人、野口和彦編『国際関係理論』第2 版、勁草書房、2013年、157-158、171-172頁。30) ナイ、ウェルチ『国際紛争』6 頁。31) 野口「リアリズム」159頁。32) Robert Jervis, “Cooperation Under the Security Dilemma,” World Politics 30, no. 2(January 1978): 169.33) Barry R. Posen, “The Security Dilemma and Ethnic Conflict,” Survival 35, no. 1(Spring 1993), 27.34) Jervis, “Cooperation Under the Security Dilemma,” 187.35) Ibid., 199, 211, 214.36) Ibid., 194-199.37) Charles L. Glaser and Chaim Kaufmann, “What is the Offense-Defense Balanceand Can We Measure It?” International Security 22, no. 4 (Spring 1998): 63-64.38) Jervis, “Cooperation Under the Security Dilemma,” 194.39) Lambach and Debiel, “State Failure and State Building,” 160.40) 末近浩太『イスラーム主義と中東政治―レバノン・ヒズブッラーの抵抗と革命』名古屋大学出版会、2013年、100-101頁。41) 同上、101頁。42) 1982年のイスラエル侵攻は「(第一次)レバノン戦争」とも呼称されるが、本稿では1976年のシリア侵攻に対応させて呼称を「イスラエル侵攻」とする。なお、シリアは1987年にレバノンを再侵攻するが、本稿の対象事例ではないため、イスラエル侵攻直後から内戦終結までの期間は省略する。43) 行政のポストや国会議席の配分の対象となる「公認宗派」が17と定められていた。なお、1996年には公認宗派の数が18にあらためられている。末近『イスラーム主義と中東政治』78頁。44) 1967年の第三次中東戦争におけるイスラエルの勝利を背景に汎アラブ主義は失速し、アラブ諸国のあいだでパレスチナ問題への関心が相対的に薄れる。これを受け、PLO では強硬路線を志向する「ファタハ」が台頭し、過激なゲリラ組織としての側面が際立つようになる。これがPLO の本拠地であったヨルダンの脅239威感を煽るところとなり、1970年のヨルダン内戦を経てPLO はその本拠地をレバノンに移転する。堀口松城『レバノンの歴史―フェニキア人の時代からハリーリ暗殺まで』明石書店、2005年、112-114頁。45) レバノンにおける宗派は、信仰集団というより世俗的な準拠集団としての性質を帯びるものであり、総論として(とくに本稿で扱う範囲においては)レバノン内戦を信仰上の差異に由来する「宗教戦争」と見るべきではない。なお、本稿では便宜的にキリスト教徒勢力を「右派勢力」、PLO とイスラム教徒勢力を「左派勢力」と総称するが、実際には双方の勢力においても内部抗争が生じており、その動機や目的は必ずしも一致していない。末近『イスラーム主義と中東政治』80頁;堀口『レバノンの歴史』164-168頁。46) PLO はパレスチナ解放を標榜する諸組織の合同体であり、シリアは親シリア勢力を浸透させるべく、1968年にパレスチナ人組織「サイカ」を設立してPLO に加盟させていた。公安調査庁編「サイカ」『国際テロリズム要覧』平成28年ウェブ版、2016年、www.moj.go.jp/psia/ITH/organizations/ME_N-africa/Sa’iqa.html、2016年12月1 日アクセス。47) 小山茂樹『レバノン―アラブ世界を映す鏡』中央公論社、1977年、156頁。48) シリアは、行政のポストや国会議席をキリスト教徒にやや偏重するかたちで配分してきた政治制度の修正・緩和を主旨とする「ダマスカス合意」をレバノン政府に提案させ、宗派対立の沈静化を図った。しかし、合意において示された政治権力の配分の程度に不満を覚えた少数派であるドルーズ派の反対を受けて頓挫し、PLO はレバノンでの影響力を維持する足がかりとしてドルーズ派を利用した。小山『レバノン』157-158頁;堀口『レバノンの歴史』148-150頁;イツハク・ラビン『ラビン回顧録』竹田純子訳、早良哲夫監修、ミルトス、1996年、354頁。49) 堀口『レバノンの歴史』148-154頁。50) 同上、154-155頁。51) 同上、154-155、161-162頁。なお、シリアはPLO と友好的な関係にはなく、PLO を積極的に支援したというよりは、右派勢力を攻撃することでレバノン国内での相対的優位を回復させたにすぎないとの見方もある。Taku Ozoegawa,Syria and Lebanon: International Relations and Diplomacy in the Middle East (London:I.B. Tauris, 2013), 51; ハイム・ヘルツォーグ『図解中東戦争―イスラエル建国からレバノン侵攻まで』滝川義人訳、原書房、1985年、326、340頁。52) 公安調査庁編「アブ・ニダル組織(ANO)」『国際テロリズム要覧』平成28年ウェブ版、2016年、www.moj.go.jp/psia/ITH/organizations/ME_N-africa/ANO.html、2016年12月15日アクセス;ヘルツォーグ『図解中東戦争』330頁。53) ヘルツォーグ『図解中東戦争』330-331頁;堀口『レバノンの歴史』169-170頁。なお、ANO による駐英大使暗殺未遂はイラクが計画したものであり、イラクが断交状態にあったシリアをイスラエルとの戦争へと扇動しようとしたとする見方もある。Ze’ev Schiff and Ehud Ya’ari, Israel’s Lebanon War (New York: Simon andSchuster, 1984), 99-100.240 政治学研究57号(2017)54) 堀口『レバノンの歴史』171頁。55) ヨルダンがそうであったように、PLO が本拠地を置く国はイスラエルの攻撃対象となりえた。それゆえ、他のアラブ諸国はPLO を公には支持しつつもその駐在を巧妙に回避しようと画策し、宗派間の均衡に神経を尖らせるレバノンをアラブ統一に非協力的だとして非難した。いわばアラブ統一の体裁をとり繕うためのスケープゴートにされたレバノンは、止むを得ずPLO とのカイロ協定に調印することとなった。同上、117-119頁。56) 同上、119頁。57) 末近『イスラーム主義と中東政治』88-90頁。58) The Geopolitics of Israel (Austin: Stratfor, 2015), 8.59) Ibid., 7-8.60) Ibid., 8.61) シリアのイスラエルへの攻撃はゴラン高原を経由していたが、イスラエルは第三次中東戦争でゴラン高原を占領した。Ibid., 9.62) ラビン『ラビン回顧録』354頁。63) Henry A. Kissinger, Years of Renewal (New York: Simon & Schuster, 1999), 1026.64) The Geopolitics of Israel, 8.65) 実際に、イスラエルは1978年にPLO の攻撃に対する報復としてリタニ川まで軍を進攻させ、右派勢力に引き継ぐかたちで緩衝地帯を維持していた。堀口『レバノンの歴史』163-164頁。66) “IDF Code of Ethics,” Israel Defense Forces, 2015, https://www.idfblog.com/aboutthe-idf/idf-code-of-ethics/, accessed December 17, 2016.67) 臼杵陽『イスラエル』岩波書店、2013年、79-82、128-129頁。68) エジプトがイスラエルに経済的打撃を与える目的で、国際法に抵触する海上封鎖を実施してきた。ヘルツォーグ『図解中東戦争』111-112、145、147頁。69) Avner Yaniv and Robert J. Lieber, “Personal Whim or Strategic Imperative? TheIsraeli Invasion of Lebanon,” International Security 8, no. 2 (Fall 1983): 121.70) シナイ半島やゴラン高原のように、二次的な目的として入植地に供された事例は見られる。なお、ガザ地区や東エルサレムを擁するヨルダン川西岸が緩衝地帯としての役割を一次的に担っていたかどうかは不明である。「入植地(中東和平)」日本国際問題研究所、2003年5 月、www2.jiia.or.jp/report/keyword/key_0306_matsumoto.html、2016年12月17日アクセス。71) 前出のドクトリンで「戦略レベルにおいて4 4 4 4 4 4 4 4 4 防御的」(傍点筆者)と断っていることから、イスラエル軍が戦術レベルにおいて攻撃的姿勢をとることを否定するものではないと考えられる。72)「バース党」日本国際問題研究所、2003年3 月、www2.jiia.or.jp/report/keyword/key_0304_matsumoto.html、2016年12月17日アクセス。73) Itamar Rabinovich, The Brink of Peace: The Israeli-Syrian Negotiations (PrincetonUniversity Press, 2009), 30.24174) 堀口『レバノンの歴史』158-159頁。75) Ozoegawa, Syria and Lebanon, 28.76) Kissinger, Years of Renewal, 1026.77) “Chaim Herzog – The Sixth President of the State of Israel,” President of the theState of Israel Reuven (Ruvi) Rivilin, 2010, www.president.gov.il/English/The_Presidency_In_Israel/Presidents_Of_Israel/Pages/ChaimHerzog.aspx, accessedDecember 15, 2016. なお、イスラエルは議院内閣制を採用しており、大統領は元首として儀礼的な役割を担うにとどまる。「イスラエル基礎データ」外務省、2016年7 月、www.mofa.go.jp/mofaj/area/israel/data.html、2016年12月15日アクセス。78) ヘルツォーグ『図解中東戦争』326頁。79) 堀口『レバノンの歴史』152頁。80) キッシンジャーは、この覚書をシリア侵攻の約2 ヵ月前に当たる1976年3 月24日には確認している。Kissinger, Years of Renewal, 1045.81) Ibid.82) Bassel Salloukh, “Syria and Lebanon: A Brotherhood Transformed,” Middle EastReport 35, no. 3 (Fall 2005): 15.83) ラビン『ラビン回顧録』354頁。シドンはベイルートの約40km 南に位置する、地中海に面したレバノン第3 の都市。84) Ozoegawa, Syria and Lebanon, 28.85) 堀口『レバノンの歴史』154-155頁。86) 臼杵陽『イスラエル』160頁。87) 同上、154頁。ユダヤ人のパレスチナ帰還を喚起するシオニズムのなかでも、修正主義シオニズムは現在のヨルダンの領域を含むユダヤ人国家の建設を標榜する大イスラエル主義の立場をとっている。同上、39頁。88) Ozoegawa, Syria and Lebanon, 30-31, 51.89) ヘルツォーグ『図解中東戦争』326-328頁。90) SAM 配備は、イスラエル軍の戦闘機が補給物資を空輸しているシリア軍のヘリコプターを撃墜したことに対抗するものであった。同上。91) 同上、331頁。92) 同上、328頁。93) 末近『イスラーム主義と中東政治』44、102-103頁。