韓国外交における日中韓協力体制││中堅国家(middlepower)への試みと限界││崔喜植ⅠはじめにⅡ脱冷戦期、朝鮮半島をめぐる多国間関係の活発化Ⅲ中堅国家としての韓国外交の試みⅣ日中韓協力体制の発展と韓国外交1金大中政権2盧武鉉政権3日中韓協力体制の制度化Ⅴおわりに││中堅国家としての試みと限界Ⅰはじめに冷戦が崩壊し、朝鮮半島をめぐる多国間関係は盛んに行われている。北朝鮮の核開発問題を解決するための六者会談をはじめ、政策協調を進めるための日中間、日韓間、米中間、中韓間など、二国間の政策協議はもちろん、韓国外交における日中韓協力体制619日中韓間、日米韓間など、多国間の政策協議も盛んに行われるようになった。その中、米国と中国など、大国の朝鮮半島政策が注目されている。大国は国際秩序を規定するパワーを持っており、その国々の朝鮮半島政策が朝鮮半島をめぐる国際秩序を根本的に規定するためである。しかし、韓国は過去とは違い、経済力と軍事力で中堅国家ともいえるほど、国力を持っており、当事国として自国なりの戦略を持って朝鮮半島の国際秩序を創り上げたがっている。したがって、交渉力が弱いために大国に振り回されかねない大国との二国間関係より、多国間関係を利用して、自国の外交戦略を展開する傾向がある。多国間関係とそれによって構築される国際制度は、大国の一方的な政策を防ぎ、韓国の交渉力を高めるためである。もちろん、ある時には、周辺の大国の政策と整合性をもちながら、その秩序の形成にリーダーシップを発揮したこともある。ある時には、周辺の大国の政策と摩擦を起こし、二国間関係の悪化を招いたこともある。いずれも、中堅国家として韓国の政策が朝鮮半島をめぐる国際秩序にある程度の影響を及ぼしていることは確かである。それが朝鮮半島をめぐる勢力均衡の面で、冷戦期とは違う側面であろう。こうした朝鮮半島をめぐる多国間関係には現在、六者会談と日中韓協力体制及び日米韓協力体制がある。韓国は、冷戦以後、米国との同盟を挟んで構築された日米韓協力体制を軸に外交を展開してきた。しかし、中韓国交正常化以後、中韓関係をいかに日米韓協力体制と両立させるのかという問題を持つようになった。その問題をいかに解決するのかは、中堅国家として朝鮮半島の国際秩序を主導的に構築したい韓国外交の試験台でもある。特に、一九九九年から始まった日中韓協力体制は中国を中心とする多国間関係であり、米国を中心とする日米韓協力体制と共に、韓国外交の重要な軸を成している。したがって、本論文は、日中韓協力体制の展開過程と韓国の外交政策を考察し、韓国の中堅国家への試みと限界を分析することを目標にする。そのため、まず、冷戦後、朝鮮半島をめぐる多国間関係がなぜ活発化したのかを考察し、韓国が多国間関係の活発化と連動しながら、中堅国法学研究83巻12号(2010:12)620家としてアイデンティティーを高めていく過程を明らかにしたい。次に、日中韓協力体制の展開過程と韓国政策を考察する。最後には、こうした中堅国家への試みはいかなる成果を達成したのか、その限界は何かを考察する。Ⅱ脱冷戦期、朝鮮半島をめぐる多国間関係の活発化冷戦期、米国の戦略は、対ソ・中封鎖政策というグローバル的な戦略に基づいて、反共前線国家と後方基地国家との積極的な連携を通じて反共網を構築することであった。韓国のような反共前線国家には、対立している共産国家に対する抑止力を確保させながらも、局地の武力衝突がソ連との世界戦争に拡大しないよう、反共前線国家の過剰な冷戦論理を抑制する必要があった。すなわち、紛争の局地化を模索したのである。同時に、米国の負担を軽減するために、後方基地国家を育成し、その連携を通じて反共前線国家の抑止力を引き上げる必要があった。このように、米国の冷戦戦略は日本を後方基地国家に育成し、韓国のような反共前線国家との連携を強化し、自由アジアの連帯を追及する方向に動いた。こうした米国の冷戦戦略は朝鮮半島をめぐる国際秩序を規定した。まず、韓国と日本との連携による日米韓三角関係という協力体制を創り上げた。米国は軍事協力を通じて北朝鮮に対する韓国の抑止力を強化し、日本は韓国に政治的な意味の強い経済援助を通じて韓国を支えた。また、韓国経済は米国の市場と日本の技術によって支えられる仕組みになった。それによって、韓国経済は日本の技術、特に中間財を輸入し、それを組み立てて米国に輸出することになり、日本への大量の貿易赤字と米国への大量の貿易黒字という構図になった。このように、日米韓三国の間には、軍事・政治・経済など、多様な面での協力関係が構築された。しかし、日米韓協力体制の強化と紛争の局地化を図った米国の冷戦戦略によって、朝鮮半島をめぐる多国間関韓国外交における日中韓協力体制621係及び多国間制度は発展しなかった。日本はデタントを利用して中国及び北ベトナムと国交正常化したものの、韓国との関係に配慮して北朝鮮とは国交正常化しなかった。韓国もデタントの勢いに乗ってソ連と中国との関係を改善することができたが、デタントの流れが国内の権威主義体制を崩しかねないとの懸念でデタントに逆らう維新体制を構築した。こうした状況で、デタントによって東アジアでの冷戦体制はほぼ崩壊したのに対して、朝鮮半島での冷戦体制はそのまま維持された。したがって、朝鮮半島をめぐる国際秩序は依然として南北朝鮮の対立、その国際的な外縁として、中韓関係及び韓ソ関係の断絶、米朝関係及び日朝関係の断絶が続いて、朝鮮半島での多国間関係は停滞したのである。こうした朝鮮半島をめぐる国際秩序は、冷戦が終わると、変化することになった。まず、韓国の北方政策によって、韓国はソ連及び中国と国交正常化を達成し、朝鮮半島で韓国の外交的な成功が明らかになった。また韓国の驚異的な経済成長によって北朝鮮との体制競争は韓国の勝利に終わった。この事情をうけ、北朝鮮は核とミサイルの開発を通じて軍事的な優位を確保しようとする戦略に転換し、北朝鮮問題は国際化されるようになった。その問題を解決するため、四者会談及び六者会談などの朝鮮半島をめぐる多国間制度が創り上げられた。また、核問題の解決にあたり、国際協調を構築するため、日米韓、日中韓、中韓、日中など、二国間及び多国間の協議が活発になり、朝鮮半島をめぐる多国間関係が活発化した。また、冷戦の崩壊は地域主義の流れを強化した。冷戦は、アジアでの地域協力に悪影響を及ぼした。ASEANなど、非同盟に近い国家は、韓国と台湾など、過剰な冷戦論理を持っている国々と一緒に地域協力を進めることに戸惑った。それは、韓国などの地域協力構想が実は北朝鮮などを意識したものであり、その国々の政治的な意図に巻き込まれかねないとの懸念を招いたためであった。しかし、冷戦が終わり、韓国の北方政策によってソ連と中国との関係が改善されると、そのような懸念が払拭され、一九八九年のAPECの設立で見られるよ法学研究83巻12号(2010:12)622うにアジアでの地域協力が本格的に推進されるようになった。こうした地域協力には、中国はもちろん、北朝鮮も制限的であるが一部の地域制度(例えばARF)に参加することで、朝鮮半島を含めた広範囲の地域制度が構築された。特に、一九九八年の金融危機を機に、ASEAN+3が開かれ、日中韓という東北アジア、ASEANという東南アジアが融合する形で東アジア地域協力が推進された。それは、日中韓協力体制という東北アジア地域協力を進めるきっかけになった。さらに、韓国の北方政策によるソ連と中国との国交正常化は少なくとも朝鮮半島の冷戦秩序を半ば崩壊させた。中韓国交正常化後、韓国外交における中国の存在感はますます高まり、中国をいかに韓国外交に内縁化するか、米韓同盟と中韓関係をいかに並存させるのかという新しい課題を韓国に与えた。その意味で、韓国は多国間関係でその課題を解決しようとした。中国と米国が参加する四者会談及び六者会談などの多国間関係によって、米韓同盟と中韓関係の両立を図ることができると思ったのである。このように、多国間関係を重視する韓国の政策によって、朝鮮半島をめぐる多国間制度が発展されるようになった。日中韓首脳会談はその代表的な例である。もちろん、日中韓協力体制は、一九九八年に始まったASEAN+3がきっかけになって始まり、東アジア共同体の構築という課題と連動して動いている。その意味で、日中韓協力体制は、中国寄りの外交であるという周辺国の憂慮をかわしながら、中国との関係を強化しうる絶好の多国間関係であった。Ⅲ中堅国家としての韓国外交の試み前述したように、冷戦が終わると、朝鮮半島をめぐる多国間関係は活発になった。韓国はこうした多国間関係で自国の存在感を高めようとする戦略を模索していった。韓国は急速な経済発展によって、世界一一位の経済力韓国外交における日中韓協力体制623を持つようになり、人口も五千万人で、軍事力も世界上位のクラスである。誰も韓国が中堅国家であることに異見はないだろう。したがって、韓国は中堅国家としてアイデンティティーを構築しながら、それを発揮できる外交戦略を模索してきた。国際秩序を構築する、もしくは変化させる力がない中堅国家は、自国の行動を制約するために大国は関心を寄せていない多国間関係もしくは国際制度で自分のリーダーシップを発揮し、自国の存在感をアピールしようとする。その意味で、中堅国家としての新しい役割を模索した韓国がこうした多国間関係を活用しようとしたことは不思議ではない。こうした試みは、一九八〇年代から始まった。八〇年代序盤、韓国が見出したのは東南アジアと先進国の架け橋という役割であった。例えば、韓国外務部は、韓国はASEAN諸国と同病相憐の立場である中進国である。したがって、韓国は先進国と開発途上国の仲介者として太平洋地域協力を先導していく適合者であると述べていた。このように七〇年代の終盤から韓国では中進国(先進国と開発途上国との中間的な国家)としてのアイデンティティーが生まれ始めたのである。それは七〇年代の高度経済成長によって、韓国が新興工業国(NICs)と呼ばれるようになり、自信をつけたことに起因するものであった。先進国と開発途上国が混在するアジア太平洋地域での地域経済協力問題は中進国としてのアイデンティティーが発揮される絶好の分野であった。こうした中進国としてのアイデンティティーは、八〇年代中盤以後の円高による高度経済成長と一九八八年のソウル五輪及び一九八九年の民主化を機に、中堅国家としてのアイデンティティーに変わり始め、その場(arena)としてのアジア太平洋が一層強調されるようになった。当時、外交部外交政策企画室長であった李時栄の論文はこうした新しいアイデンティティーの変化をよく表わすものであった。李時栄は二一世紀太平洋時代、韓国外交はどこにと題する論文で、韓国のような中級国家(mediumsizestate)は小国とは異なり、重みのある発言ができるし、大国とは異なり、覇権を図るとの懸念を招かないため、特別な役割を果たすことが法学研究83巻12号(2010:12)624できると述べた上で、国際的な発言力を高めるためにはオーストラリアとカナダのように多国間主義(multi‑lateralism)を活用すべきであると主張していた。李時栄が最も重要視した多国間主義は言うまでもなくアジア太平洋地域協力であった。それは、日米とASEANの間での中間規模の国力を持っている韓国が役割を果たしやすい場(area)であったためである。こうした中堅国家への試みをいかに解釈できるか。まず、中堅国家とは何かという定義の問題である。一般的に中堅国家は国家の能力によって定義される。すなわち、国力上、小国でもない、また大国でもない国が中堅国家として分類される。もちろん、国力の測定に関して客観的な基準はないが、大体、経済力と軍事力及び外交力で分類することが一般的である。また、外交の行動形態で分類することもある。大国がパワーによる力の均衡を追求することに対して、中堅国家は大国が関心を寄せていない多国間関係、紛争の調整、善良な国際市民意識、ニッチ外交(Nichediplomacy)を追求する国であると定義される。結局、中堅国家というのは、世界的な問題でリーダーシップを発揮できるほどの中間クラスの国力をつけている国で、国際社会の平和と繁栄という普遍的な価値を追求し、大国がリーダーシップを発揮していない国際問題を解決しようとする善良な世界市民を目指す国であると定義できる。それでは、なぜ、中堅国家は国際制度もしくは多国間関係の構築に積極的であるのか。それは、多国間関係及び国際制度は大国の一方主義(unilateralism)をけん制し、中堅国家の交渉力を高め、中堅国家の存在感を高めるためである。特に、多国間関係とそれによって構築される国際制度は大国を制度的に拘束する効果(institu‑tionallock‐ineffect)を持っているため、大国による一方的な秩序変化を防ぎ、国際秩序の安定性を高めることができる。国際制度は国際的な行為を規制する一連の規則であるため、大国の一方主義的な行為を抑制できるた韓国外交における日中韓協力体制625めである。また、大国は自分の自由な行動を制限しうる国際制度の構築には消極的であるため、中堅国家としてのアイデンティティーを持っている国はそこで自分の役割を見出している。実際、八〇年代、韓国もアジア太平洋地域協力の強化を通じて、米国の一方主義的な市場開放の圧力をかわそうとしたのはその理由であった。米国を地域協力という多国間関係に封じ込めることによって、交渉力の差のために大国との二国関係では確保できない国益を保とうしたのである。また、韓国は資源の対外依存度と貿易依存度が高いため、世界の中で生きる方法を探りながら、世界自由貿易体制とそれを補うアジア太平洋地域協力へのコミットメントを深めることになり、米国とヨーロッパが経済保護主義へ走るのを防いで世界自由貿易体制を維持する必要があった。Ⅳ日中韓協力体制の発展と韓国外交前述したように、冷戦後、朝鮮半島をめぐる多国間関係は活発化し、韓国はそれを利用し、中堅国家として自国の役割を果たし国益を保つと同時に、普遍的かつ安定的な地域秩序を創り上げようとした。こうした中堅国家としてのアイデンティティーは九〇年代、OECD加盟以後、特に歴史的な政権交代を成し遂げた金大中政権以後、一層高まることになった。特に、一九九八年の金融危機を機に東アジア地域協力がアジア太平洋地域協力を代替することになり、日中韓三国が招待され、ASEAN+3体制が本格化することになるや、韓国は日中韓協力を深めるための中堅国家としての外交を積極的に展開した。日中韓三国は合わせて世界人口の二四%、世界GDPの一九%、世界為替準備高の四〇%を占めており、また域内輸出比率が一九九五年の一四%から、二〇〇五年の二〇%まで上昇し、相互依存度を高めていった。したが法学研究83巻12号(2010:12)626って、韓国において、日中韓協力体制は安定的な経済成長に不可欠なものであった。何より、朝鮮半島で存在感を高めている中国をいかに内縁化するのか腐心していた韓国において、日中韓協力体制は中国という大国の一方主義をけん制できる絶好の多国間関係であった。また、日中韓協力体制は冷戦以後、米国との同盟を挟んで構築された日米韓協力体制を軸に外交を展開してきた韓国において、中国との関係をいかに日米韓協力体制と両立させるのかという問題を解決できるものでもあった。こうした認識は、例えば、韓国の国家安全保障会議(NSC)は二〇〇五年四月に東北アジア均衡者論、尊敬される国際協力国家になるための戦略という文章によく現れていた)。東北アジアで、米中二国間の対決関係のみを想定し、東北アジアでは米国と中国だけが存在するため、その中でひとつの国の味方になるべきであるという強迫観念を捨てるべきである。域内国家の中で、韓国もすでに東北アジアの平和と繁栄のため、未来の秩序を創り上げていくにあたり、意味のあるアクターになった。それにふさわしく能動的かつ活力のある役割を果たせる。もちろん、この認識は盧武鉉政権の主な国際認識であって、他の政権の国際認識を必ずしも反映していたとは言えない。ただし、中韓国交正常化以後、朝鮮半島での存在感を高めている中国は韓国外交において重要なアクターであり、整合性を持って米韓同盟と中韓関係を両立させるのかは冷戦後の韓国外交の宿命であったことは否めない。したがって、日中韓協力体制は中国寄りであるという周辺国の憂慮をかわしながら、中国との関係を強化しうる絶好の多国間関係であったことは確かであった。以下では、こうした意味を持っている日中韓協力体制の展開過程で、韓国はいかなる対応を見せていたのかを考察する。韓国外交における日中韓協力体制6271金大中政権日中韓首脳会談は一九九九年のASEAN+3首脳会談で日本の提案によって非公式的な会談(朝食会)を開いて始まった。その第一次日中韓首脳会談では、韓国の提案によって経済協力を進めるための共同研究を日中韓の政府研究機関によって実施することを合意した)。二〇〇〇年の第二次首脳会談では、二〇〇二年を日中韓交流年に指定し交流を一層高めることに合意したほか、IT分野の協力を進めるための局長級専門家グループを設置すること、環境情報ネットワークの構築が合意された。また、韓国の提案によって、毎年開催されるASEAN+3首脳会談の際に日中韓首脳会談を開催することになって、首脳会談は定例化された)。二〇〇一年の第三次首脳会談では、日中韓ビジネスフォーラムの結成、経済長官会談と財務長官会談の定例化、国民文化交流事業の拡大などが合意された。また、外務長官会談を必要に応じて開催することにした)。このように経済・文化・人的交流などの協力を中心に協議を行った日中韓首脳会談は、二〇〇二年の第四次日中韓首脳会談で日本が北朝鮮問題を議題にあげることによって、政治面での協力を進めることになった。同年は小泉首相が訪朝し平壤宣言を発表した年であるし、第二次北核問題で北朝鮮問題が本格的に国際化された年でもあった。日本はこうした北朝鮮問題に対する日中韓の政策調整を行いたがったのである。また、第四次首脳会談では、日中韓FTAの妥当性を検討することに合意した)。金大中大統領はこうした日中韓首脳会談に積極的に関与した。一九九八年の金融危機に直面し、それを克服するための地域協力を進めることになった。したがって、金大中大統領は日中韓首脳会談で主に経済問題を取り上げようとしたのである。日中韓FTAを念頭に置いた日中韓経済協力方案に関する共同研究を提案したのもそのためであった。その意味で、金大中政権の日中韓協力体制に関する政策の機能主義(functionalapproach)に基法学研究83巻12号(2010:12)628づいていた。すなわち、経済・文化などのロー・ポリティクス(Low‐Politics)から始め、その協力関係を深めた上で、政治・軍事などのハイ・ポリティクス(High‐Politics)での協力関係を構築しようとしたのである。しかし、金大中大統領は日中韓協力体制より、ASEAN+3の発展に関心が高かった。一九九八年の金融危機は東南アジアから始まり、韓国へ影響を及ぼしたことで、東アジアでの経済協力の強化によってその再発を防ぐことが緊要であると判断したためであった。韓国が一九九九年のASEAN+3首脳会談でEAVGを、二〇〇〇年のASEAN+3首脳会談でEASGを提案し、東アジア共同体の構築を謳えたのはその例である。また、ASEAN+3首脳会談で北朝鮮宥和政策を積極的に取り上げ、周辺国の同意と支持を取り付けようとした。もちろん、金大中大統領はASEAN+3の中で、日中韓の協力が必要であると思ったが、ASEAN+3とは別に日中韓首脳会談を開催することにはそれほど積極的ではなかった。すなわち、金大中政府は、東アジア共同体の構築にリーダーシップを図ることを中堅国家としての役割であると判断し、日中韓協力関係はあくまでもその東アジア共同体の構築と連携されるべきであると考えたのである)。実際、ASEAN諸国は、日中韓協力体制が東北アジア共同体を構築しようとする試みであるという懸念を抱いたため、日中韓首脳会談では、いつでも、その協力の課題に東アジア地域協力の強化をあげていた。こうした背景で、金大中大統領はアジア太平洋時代の中心国家として地域協力への積極的な参加を国政目標としてあげ、あくまでもアジア太平洋及び東アジアの地域協力で中堅国家の役割を模索していた。2盧武鉉政権こうした東アジア共同体の構築と日中韓協力体制を一本化した金大中政権の外交戦略は盧武鉉政権の登場によって、分離されるようになった。盧武鉉大統領は三大国政目標の中で、平和と繁栄の東北アジアの構築をあ韓国外交における日中韓協力体制629げ、韓国の歴史上、初めて東北アジアという地域概念を本格的に取り上げた。東北アジア中心国家、東北アジア均衡者などのスローガンがよくつかわれたのにも、東北アジアという地域概念を通して中堅国家の役割を模索した盧武鉉政権の外交戦略が読み取れる)。こうした外交戦略は北朝鮮問題の解決に中心的な役割をこなすべきであるという自己認識が強く反映されていた。すなわち、北朝鮮の核問題を解決する過程で、朝鮮半島の平和体制を制度化し、東北アジアの平和と繁栄に寄与すべきであるという役割意識が東北アジアという地域概念を韓国外交の中心概念に登場させたのである)。特に、盧武鉉大統領にはこれまで韓国外交の軸であったともいえる日米韓協力体制は冷戦思考に基づいた旧時代の遺産であるという認識が強かった)。もちろん、盧武鉉大統領は、米韓同盟は東北アジア中心国家になるための基盤であるという認識は持っていたが、日本を挟んで類似同盟のような特殊的な関係を持つ日米韓協力体制には否定的な認識を持っていた。したがって、日米韓を含め、韓国外交への存在感を高めている中国、核問題の解決後の北朝鮮、朝鮮半島への利益関係を持っているロシアを含めた多国間関係を創り上げ、脱冷戦の新しい国際秩序を構築しようとした。こうした外交戦略のもとで、盧武鉉政権は日中韓協力体制に積極的に取り組んだ。二〇〇三年の第五次日中韓首脳会談では、初めて共同宣言が採択され、一四分野での協力を進めることに合意した。その分野は、貿易と投資、情報通信、環境、災難の予防と管理、エネルギー協力、金融、科学技術、観光、水産資源の活用と保存、人的交流、国連の役割強化と改革、アジア地域協力の強化、安保対話の強化、国家横断的な犯罪の予防と防止など、多方面に及んでいた。特に、三国は外務長官からなる三者委員会を設置し、共同声明で合意したことを実施するとともに、その結果は毎年首脳会談に報告することに合意し、その執行力を確保した)。また、北朝鮮問題が協議された。二〇〇二年、日本が初めて北朝鮮問題を取り上げて以来、日中韓首脳会談は政治から文化に及び多法学研究83巻12号(2010:12)630方面の問題を協議する場として定着したのである。二〇〇四年の第六次首脳会談は、こうした三者委員会が提出した実績報告書と行動戦略を採択し、二〇〇三年の合意を本格的に推進していった。また、ここでは、北朝鮮問題をはじめ、国連改革、イラク問題などの世界的な外交問題も協議され、一層制度化された首脳会談になった)。しかし、二〇〇五年に開催される予定であった第七次首脳会談は、一〇月に小泉首相が靖国神社を参拝し、日中関係及び日韓関係が悪化したために開催されなかった。しかし、政治問題と経済問題は分離し対応するという中国と韓国の意思によって、外務長官会談を除いて経済長官会談などは開催された)。小泉首相の退陣によって、歴史問題が鎮火されると、二〇〇七年に第八次首脳会談が開催された。ここでは、黄砂問題の共同対応、エネルギー戦略対話の構築、文化交流年の指定、日中韓外務長官会談の下で外交高位級会談の開催が合意された。また、北核問題、国連改革など、外交問題が議論された)。二〇〇八年の第九次首脳会談では、サイバー事務局を設置することに合意したほか、三国間の協力を増進するための行動計画が採択された。また、南北朝鮮首脳会談と北核問題及び国連改革問題も協議された)。こうした日中韓首脳会談の発展は四つの特徴をみせた。まず、後述するが、制度化が相当進んだことである。事務局の役割を果たせる三者委員会が設置され、一〇分野に及ぶ長官級会談が行われるようになった。次は、政治・外交問題が本格的に議論されるようになったことである。もちろん、拉致問題と北朝鮮の核問題、国連改革問題など、その議題は日本が積極的に取り上げたものである。機能主義的なアプローチで始まった日中韓協力体制が政治問題をはじめ、安保対話の構築問題まで、議論するようになったことは、日中韓協力体制が朝鮮半島の国際秩序もしくは東アジア国際秩序に影響を及ぼしうる可能性を見せている。韓国も、六者会談との連携を念頭において、政治協力体制として日中韓協力体制の発展を考えていた。例えば、ソン・ミンスン外交通産韓国外交における日中韓協力体制631部長官は次のように述べている)。なにより、取り組みやすい分野から始めるべきである。経済・通商・文化などから始め、外交・安保分野での深層的な協力を図るべきである。いま、北朝鮮の核開発問題の解決プロセスが進展しているし、それと関連して東北アジア多国間安保対話を模索している最中である。この意味で韓中日三国は東北アジアの共同繁栄と平和安定という二つの車輪をよく転がさないとならない。その過程で、韓国の役割は重要である。中国と日本は利益によって協力しながらも、伝統的な競争意識のため、その協力に限界があるためである。こうした姿勢は、日中韓協力体制を東北アジアの平和と安定に結びつけ、六者会談と連動させようとする政策であり、金大中政権が日中韓協力体制を東アジア共同体の構築と関連させて思考したこととは異なる認識であった。東北アジアという地域概念を前面に打ち出した盧武鉉政権の外交戦略の必然の結果であったかもしれない。次は、歴史問題で、日中韓首脳会談が二年あまり開催できなかったことである。特に、二〇〇五年の歴史問題と独島(日本名・竹島)問題は日中韓協力体制に関する韓国外交に変化を招いた。東北アジア均衡者が登場したのである。これは、日中の対立を前提において、その均衡の役割を韓国が果たすべきであるという認識であった。右に引用したソン・ミンスン長官のコラムはそれをよく見せている。もちろん、こうした認識は韓国の普通の市民の間で広汎に共有されている認識である。しかし、金大中政権は日中韓協力体制を東アジア地域協力というより高いレベルで認識することによって、こうした認識を回避することができたのに対して、東北アジアという視点で韓国外交を見ている盧武鉉政権にとっては、自然的な現象であっただろう。法学研究83巻12号(2010:12)6323日中韓協力体制の制度化こうした発展によって、日中韓協力体制は相当の制度化が進められた。まず、毎年、日中韓首脳会談が開かれ、経済問題を中心として地域及び世界政治問題も協議する。その下には、三国の外務長官が委員長になって、首脳会談で合意されたものを実施し首脳会談にその成果を報告する三者委員会が設置されている。もともとは外務長官会談を代替する協議体であったが、二〇〇七年からは三者委員会とは別に外務長官会談を行うことになった。また、三者委員会を補佐する高位級会談がある。まだ、実際の事務局ではないが、ホームページを通じて日中韓協力体制を広報するなど、サイバー事務局が設置されている。さらに、首脳会談での合意を実施するとともに三国間の政策調整を行うため、経済長官会談など、およそ一〇分野での長官級会談が毎年開催される。また、一〇分野では、長官級会談とは、別に局長級また事務者レベルの会合も数多く開催されているこうした分野別の協力関係は相当進んで、二〇〇七年からは日中韓投資協定に関する交渉が始まった。黄砂問題を解決するため、二〇〇七年からは局長級会談が開かれ、その対応策を模索している)。特に、文化交流と人的交流は最も成果が多い分野であった。それは、日中韓三国ともに、取り組みやすい分野での協力を重ねて、その協力を政治問題へ拡大しようとする機能主義的なアプローチをとっていたためである。日中韓協力体制の制度化はここにとどまらない。いわば、トラック2と呼ばれる民間の協議体も存在する。まず、二〇〇一年の首脳会談での合意に基づいて、日中韓ビジネスフォーラムが二〇〇二年に設立され、日本の経団連、韓国の全国経済連合会(全経連)、中国の国際貿易促進委員会が共同主催するフォーラムが毎年開催される)。また、日中韓の言論界(韓国の中央日報、日本の日本経済新聞、中国の新華通信)が共催する日中韓三〇人会は、二〇〇六年から日中韓の協力関係を深めるための政策提言を行っている)。韓国外交における日中韓協力体制633さらに、三国間の文化及び人的交流を深めるため、韓国の韓日文化交流会と韓中友好協会、日本の日韓文化交流会、中国の対外文化交流協会と中韓友好協会及び中日友好協会が参加する日中韓文化交流フォーラムが二〇〇五年から毎年開催される。ここでは、日中韓文化財保存国際会議、日中韓の国立映画教育機関による短編映画の共同製作などを推進している)。このように、日中韓協力体制は相当制度化されている。トラック1で呼ばれる政府間協議体、トラック2の民間協議体が並存しながら、日中韓協力を進めている。12|――――|30法学研究83巻12号(2010:12)634Ⅴおわりに││中堅国家としての試みと限界考察したとおり、冷戦後、朝鮮半島をめぐる多国間関係は活発化した。それは、中堅国家としてのアイデンティティーを高めてきた韓国において、外交の地平を広げるチャンスであった。一九九九年にASEAN+3をきっかけに日中韓首脳会談が開催されて以来、韓国は日中韓協力体制を構築することに積極的に取り組んだ。一〇年の歴史を持つようになった日中韓協力は事務局の役割をする三者委員会など、執行力を担保する制度化が進められ、一〇分野を超える政府間の政策調整を行っている。また、トラック2でも経済と文化及び言論の分野で三国の民間人が協議を行い、日中韓協力の深化のための政策提言を行っている。このように制度化した日中韓協力体制は、中国の行動を制度によって制限し、中国の一方的な行動を抑制できるという点で、韓国外交に大きなメリットを与えている。逆に、韓国は大国の一方主義的な行動を抑制できるため、日中韓協力体制の制度化に積極的に取り組むであろう。また、中韓国交正常化以後、朝鮮半島での存在感を高めている中国は韓国外交において重要なアクターであり、整合性を持っていかに米韓同盟と中韓関係を両立させるのかは冷戦後の韓国外交の課題であった。その意味で、日中韓協力体制は中国寄りであるという周辺国の憂慮をかわしながら、中国との関係を強化しうる絶好の多国間関係であった。日米韓協力体制による米韓同盟の強化、日中韓協力体制による中韓関係の深化、その二つを両立させうる制度的な枠組みを整えたともいえる。特に、日中韓首脳会談をはじめ、日中韓外務長官会談を通じて、北朝鮮問題などの政治問題を協議し、その政策調整を行う体制が構築されたのも、成果の一つであろう。韓国はこうした日中韓での政策協調を進めることによって、朝鮮半島の国際秩序づくりに影響力を確保できる体制を整えた。韓国外交における日中韓協力体制635さらに、日中韓協力体制はもともとASEAN+3を母体に出発したゆえに、東アジア地域協力へのコミットメントを高めている。韓国は日中韓協力を通じて、東アジア地域協力へのリーダーシップを確保できた。結局、日中韓協力体制は、中堅国家を目指す韓国においてその試験台であり、相当の可能性を見せていたのは否めない。ただし、金大中政権が日中韓協力体制を東アジア地域協力というより高いレベルで認識したのに対して、盧武鉉政権は東北アジアという地域概念を前面に打ち出した結果、多様な問題を露呈した。まず、二〇〇五年の歴史問題と独島問題で対日政策が強硬的に変わり、周辺国家との友好な関係による外交力を条件とする中堅国家の基盤を弱めたことである。日中の対立を前提において、その均衡の役割を韓国が果たすべきであるという東北アジア均衡者論が登場し、米国と日本との関係を悪化させ、中堅国家としての交渉力を弱めた)。それは、東北アジアという地域概念を前面に打ち出し、その中で中堅国家としての役割を模索した盧武鉉政権の外交戦略が招いた必然の結果であった。なぜかというと、中国と日本の対立を自然的な現状として捉え、その二つの国を仲介するという認識、もしくは中国脅威論と過去の歴史問題に束縛される中国と日本は積極的な役割を果たせる立場ではないので、韓国は積極的な指導力を発揮できるという認識が韓国国民の一般的な認識であって、東北アジアでの中心国家を目指す外交戦略は、こうした一般的な認識に縛られてしまうためである。すなわち、日本と中国は韓国外交の内縁に含まれるのではなく、外縁に引き下がり、普遍的な価値に基づいて多用な価値を統合していくべき中堅国家としての存在根拠を弱めてしまったのである。したがって、こうした危険性を露呈する東北アジアという概念を東アジアという一層高いレベルの外交戦略の下位概念として位置づけ、東北アジア地域協力を東アジア地域統合への推進力として再定義する必要がある)。(1)韓国では中級国家、中堅国家、中進国など、多様な言葉が使われている。最近は盧武鉉政権が中堅国家法学研究83巻12号(2010:12)636という言葉を使ったことで、中堅国家がよく使われる。英語でもintermediatepower,mid‐sizepower,mediumpower,mid‐levelstate,middlepowerで呼ばれ、定着した言葉は存在しない。ここでは、韓国の慣例に従い、中級国家とmiddlepowerという言葉を使うことにする。(2)後方基地国家に対しては次を参照されたい。ナムギジョン韓国戦争と日本‥基地国家の戦争と平和平和研究(九│一号、二〇〇一年、韓国語)。(3)韓国外務部太平洋頂上会談構想(一九八二年一〇月)、三六頁(韓国語)。(4)アジア太平洋地域協力における中進国論は次を参照。李漢彬太平洋圏の登場と韓国の位置新東亜(一九七九年四月)、二〇五頁(韓国語)。李聖九太平洋時代の開幕のための韓国の対アジア・共産圏政策共産圏研究(一九八二年一〇月)、四一頁(韓国語)。揚秀吉太平洋協力論議の展開と韓国の対応韓国開発研究院研究報告書(一九八三年五月)、一九四頁(韓国語)。(5)李時栄二一世紀太平洋時代、韓国外交はどこに新東亜(一九九二年二月)、一三六頁(韓国語)。(6)李時栄二一世紀太平洋時代、韓国外交はどこに、一三一頁。(7)中堅国家の定義に関しては次を参照されたい。キムチウク国際政治の分析単位としての中堅国家(MiddlePower)‥その概念化と示唆国際政治論叢(四九│一号、二〇〇九年、韓国語)。(8)チェヨンジョン地域制度と中堅国家国際関係研究(一四│二号、二〇〇九年)、六四│六八頁(韓国語)。(9)アジア太平洋地域協力に対する韓国の政策は次を参照されたい。崔喜植アジア太平洋地域協力をめぐる日韓関係慶應義塾大学博士論文、二〇〇八年。(10)NSC事務局東北アジア均衡者論、尊敬される国際協力国家になるための戦略(二〇〇五年四月二七日)(韓国語)。(11)ベクンチャン韓中日三国協力の展望と課題主要国際問題分析(二〇〇六年一〇月四日)、三頁。日本外務省HP小渕総理のASEAN+3首脳会議等出席(一九九九年一一月)http://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/kiroku/sobuchi/arc99/asean99/3sh国連o.html(二〇〇九年一一月一日検索)。(12)ベクンチャン韓中日三国協力の展望と課題、三頁。日本外務省HP日中韓首脳会合の概要(二〇〇〇年一韓国外交における日中韓協力体制637一月)http://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/kiroku/smori/arc00/asean00/gaiyo3.html(二〇〇九年一一月一日検索)。(13)ベクンチャン韓中日三国協力の展望と課題、四頁。日本外務省HP日中韓首脳会合の概要(二〇〇一年一一月)http://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/skoi/asean2001/jckg.html(二〇〇九年一一月一日検索)。(14)日本外務省HP日中韓首脳会合の概要(二〇〇二年一一月)http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/asean/jck/kaidan4gai.html(二〇〇九年一一月一日検索)。(15)Shin‐whaLeeTheEvolutionofKorea’sStrategyforRegionalCooperation,’国際関係研究(一三│一号、二〇〇八年)、一〇四│一〇五頁。(16)外交通産部参与政府の五年の外交成果韓国外交通産部、二〇〇七年、一〇│一二頁(韓国語)。(17)Shin‐whaLeeTheEvolutionofKorea’sStrategyforRegionalCooperation,’一〇六│一〇八頁。(18)リスヒョン中枢的中堅国家論と参与政府の均衡的実用外交韓国と国際政治(二四│一号、二〇〇八年)、二一八頁(韓国語)。(19)ベクンチャン韓中日三国協力の展望と課題、四頁。日本外務省HP日中韓首脳会合の概要(二〇〇三年一一月)http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/asean/jck/kaidan5gai.html(二〇〇九年一一月一日検索)。(20)ベクンチャン韓中日三国協力の展望と課題、四│五頁。日本外務省HP日中韓首脳会合の概要(二〇〇四年一一月)http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/asean/jck/kaidan6gai.html(二〇〇九年一一月一日検索)。(21)ベクンチャン韓中日三国協力の展望と課題、五│六頁。(22)日本外務省HP日中韓首脳会合の概要(二〇〇七年一月)http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/asean/jck/kaidan7gai.html(二〇〇九年一一月一日検索)。(23)日本外務省HP日中韓首脳会合の概要(二〇〇八年一一月)http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/asean/jck/kaidan8gai.html(二〇〇九年一一月一日検索)。(24)ソンミンスン軌道に乗せられた韓中日協力時代中央日報(二〇〇七年一一月二〇日、三七面)(韓国語)。(25)外交通産部韓中日協力概況韓国外交通産部、二〇〇八年、一七│一八頁(韓国語)。法学研究83巻12号(2010:12)638(26)外交通産部韓中日協力概況、三七│三八頁。(27)外交通産部韓中日協力概況、三八│三九頁。(28)外交通産部韓中日協力概況、三九│四一頁。(29)リスヒョン中枢的中堅国家論と参与政府の均衡的実用外交、二四二│二四三頁。(30)リオクヨン東アジア地域秩序と政治統合の動力世界地域研究論叢(二六│一号、二〇〇八年)、一九四頁(韓国語)。韓国外交における日中韓協力体制639